June 2019

Through the looking glass

ロスチャイルド家のパーティへようこそ

text stuart husband

有名な夜会、「ディネ・ド・テート・シュルレアリスト」でゲストを迎える男爵と男爵夫人。1972年。

「大きな鼻とぶ厚い口びるの醜い女性だったが、目だけは非常に美しかった。そしてふたつの言語(英語とフランス語)をマシンガンのように操っていた」

 マリー・エレーヌは、こだわりが強く完璧主義ゆえ、とんでもない逸話をいくつも残した。例えば、求めていたバターカップイエローの色ではないという理由で、400人分のスクランブルエッグを作り直させた話など、期待を裏切らないものばかりだ。

 しかしマリー・エレーヌが実生活では、ずっと障害を抱えていたことは、あまり知られていない。1962年頃から重い変形性関節症を患っており、寝たきりになることも多かったのだ。

「日常生活が痛みによって妨げられることが何度もあった」とギーは記している。

 彼女は派手なパーティを開く傍ら、医学研究の基金を募ったり、アーティスト、ミュージシャン、映画俳優、ファッションデザイナーのパトロンとしても活動していた。

「お金目的で才能を安売りする人がいる。私が行って、助けてあげなければいけない」と若い芸術家の境遇を嘆いた。

 1975年、ロスチャイルド一族はシャトー・ド・フェリエールをパリ大学に売り渡し、それに比べると質素な、敷地内のシャレー風の木造家屋に引っ越した。初めはこの場所を毛嫌いしていたマリー・エレーヌだったが、ド・レデとカトルーの力を借り、建物を“ロスチャイルド風”に改装したことで嫌悪感は次第に消えていった。

「デザイナーはどれだけ才能があっても、物事に対処できる強い意志を持ち合わせていなければ、何も成し遂げられない」というのが彼女の持論だった。カトルーも、これには思わず頷いた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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