THERE WAS THE POPE AND THEN THERE WAS ENZO'
【フェラーリ創設者の物語】ローマ法王がいて、そしてエンツォがいた
April 2024
アルファ ロメオのドライバーとして働いていた頃に、モンツァ・サーキットでニコラ・ロメオとジュゼッペ・モロージと撮影(1923年)。
彼は1920年代にアルファ ロメオのドライバーとなる。1929年、彼はアルファ ロメオ初のレーシング部門、スクーデリア・フェラーリを率いることになった。
現代のフェラーリは世界最強のラグジュアリーブランドとして認識されているが、その原点はレースで勝つことだ。彼は「2位は敗者の1等賞だ」と語った。エンツォは1947年3月にフェラーリを設立したが、ロゴに選んだのはカヴァリーノ・ランパンテ(跳ね馬)で、背景にはモデナの色であるイエローを採用した。この馬のシンボルはもともと、第一次世界大戦のイタリア軍エース・パイロット、フランチェスコ・バラッカの機体にあしらわれていた(バラッカはエンツォの兄と同じ飛行隊の隊員でもあった)。
エンツォはタイミングの面でも抜かりがなかった。フェラーリはF1チャンピオンシップとほぼ同時期に誕生し、その華やかさを象徴する存在となった。レース活動のコストを賄う手段として、ロードカーの製造が好都合だとも気づいた。顧客への態度はあくまでも尊大だった。
「あなたがこのクルマを好きなら造りましょう。そうでないなら造りません」というのが、彼のセールストークだった。