THE SUMMER OF ’68

バルドーを射止めた男、ジジ

July 2017

ジジ・リッツィは、フェリーニの幻想の世界を地で行くような色男だった。
究極のフランスのセックスシンボル、ブリジット・バルドーですら虜になるほどに。
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1968年頃のバルドーと、いかがわしい雰囲気のジジ・リッツィ。

Gigi Rizzi / ジジ・リッツィイタリア・ピアチェンツァ生まれの俳優。ブリジット・バルドーの恋人になったことにより、一躍有名に。代表作は、『La Morte Risale a Ieri Sera(原題)』(1970年)や、『Roma Bene(原題)』(1972 年)。私生活でナタリー・ドロンなど、当時の人気女優やモデルらと浮名を流したこともあり、いずれの作品にもプレイボーイ役として登場。生涯プレイボーイとしてその名を馳せていた。

 1968年の最重要人物をまとめたニューズウィーク誌の記事がある。この年の顔として名前が挙がったのは、チェ・ゲバラ、クリスチャン・バーナード、そしてジジ・リッツィだ。この「ジジ」とは何者なのか。ポルノ映画スターの名前選びなら最有力候補にでもなりそうな名前だが、まぎれもない当時の偉人のひとりだ。リッツィは、ラテンアメリカにマルクス主義革命を広めたり、世界初の人から人への心臓移植を実施したりすること以上に、重大で画期的なことを成し遂げたといえる。彼は1968年の夏、究極のフランスのセックスシンボル、ブリジット・バルドーを射止めたプレイボーイとして、世界中の男たちの羨望の的となった人物だ。

 当時の写真からは、バルドーとリッツィが、さまざまなリゾートで華やかな生活を送っていた様子が窺える。彼女の定番のファッションといえば、くたっとしたサンハットにタンクトップか、マイクロドレス。一方、へそまではだけたシャツに、股上の浅いコーデュロイパンツやベルベットパンツを合わせ、こんがりと日焼けした肌に満足気な笑みを浮かべるリッツィ。ふたりはパイレーツ風のバンダナでペアルックを楽しむこともあった。

 リッツィは、フェリーニの幻想の世界を地で行くような、若いイタリア人ジゴロのグループの中心人物だった。他に、最高のプレイボーイだったポルフィリオ・ルビロサが最後に愛した女性として知られる、オディール・ロダンと交際していたベッペ・ピロッディや、王子と呼ばれたフランコ・ラペッティ、ロドルフォ・パリージもその一員である。彼らは「レジタリアン」と呼ばれた。地理的には間違いないが、ひねりに欠けるネーミングだ。

「全員が日焼けしたイケメンのイタリア人プレイボーイ。彼らはカプリ島のシーンを支配していた」と、社交界の名士、ピラー・クレスピ・ロバートはヴァニティ・フェア誌のインタビューに答えている。

「みんなストレートで、常に美人のアメリカ人のガールフレンドを連れていた。レザーパンツを穿いて、シャツの胸元からチェーンを覗かせてね」

 彼らの恋愛の戦術についてはリッツィ自らが解説しているが、それはまるでゲバラのゲリラ戦のハンドブックの一節のようだ。「僕らは億万長者に勝たなければならなかった」と彼は言う。

「あるのは自分の顔だけ。だからこそ余計に燃えた。嫌な奴らだったろうね」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 17
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