The Rakish ART ROOM Vol.9
貴殿も世界の名画オーナーに!
モーリス・ユトリロ
July 2020
“エタンプのノートルダム教会” ¥40,000,000 (税込価格)お問い合わせは、ザ・レイク・ジャパン info@therakejapan.com まで
教会や大聖堂は、ユトリロにとって重要なモチーフであった。彼は1929年までに、パリのノートルダム大聖堂をはじめ、田舎や郊外の礼拝堂まで、大小さまざまな教会の絵を70点ほど描いたといわれている。《エタンプのノートルダム教会》も、ユトリロの教会を描いた作品の中の1枚。その歴史を中世まで遡るエタンプは、パリの南50kmに位置し、小さな町であるにもかかわらず、立派なゴシック建築の教会が建ち並ぶ古い王都である。その中でも堂々たる威容を誇るノートルダム教会は、12世紀初期ゴシック建築の白眉。ユトリロはこの教会を、正面からではなく、複雑な構造が美しい斜めのアングルから、厳格な遠近法を用いて描いている。キャンバスに油彩 80.3×65.2cm 1916年制作
ヴァラドンは巨匠たちの仕事を見ながら自らも絵を描いていたが、その画才を認めたのは印象派の巨匠ドガだった。それから3年後の29歳の時、ヴァラドンは自作を国民美術協会のサロンに出品し、女性初の会員となっている。その間にも彼女は、かつての恋人でスペイン人の美術評論家ミゲル・ユトリーリョに、7歳のユトリロを彼の子と認知させ、作曲家エリック・サティと激しくも短い恋愛生活を送った。サティにとってヴァラドンは、最初で最後の女性であった。
そんなヴァラドンも、30歳の時、商社マンのポール・ムジスと結婚。奔放な生き方に終止符を打ったと思いきや、44歳の時に、なんと息子ユトリロの画家仲間で21歳も年下のアンドレ・ユッテルと恋に落ち、夫を捨てて再婚してしまうのだ。
その年、ユトリロ25歳。初めて作品が高値で売られたが、女性への暴力沙汰で警察に連行され、以後数年にわたって精神病院への入退院を繰り返した。生まれた時から母の男性関係に振り回され、あげくの果てに友人が義父となったユトリロ。崩壊した彼の心とは裏腹に、作品の評価が高まったのは皮肉である。
本記事は2020年7月27日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 35