The Rakish ART ROOM Vol.9
貴殿も世界の名画オーナーに!
モーリス・ユトリロ
July 2020
モーリス・ユトリロ / Maurice Utrillo (1883-1955)「エコール・ド・パリ」に分類される画家のひとり。ただし、彼らの多くは異邦人で、モンパルナスで活動したのに対し、フランス人であるユトリロはモンマルトルを拠点とした。母はモデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドン。自由奔放な母に顧みられなかったユトリロは10代でアルコール依存症となり、診療院への入退院を繰り返しながら、古きよきモンマルトルの風景を描いた。©Aflo
こうして独学で絵を描き始めたユトリロは、母のアトリエのあったモンマルトルの風景に自らのモチーフを発見する。かつてはルノワールやロートレック、ゴッホ、ピカソらが住んだ芸術の丘も、次第に騒々しいだけの大歓楽街となり、芸術家たちの多くは、セーヌ川左岸のモンパルナスに移っていった。だがユトリロだけは大酒を飲んで騒ぎを起こし、診療所に入院、退院後にまた絵を描くというサイクルを繰り返しながら、サクレ・クール寺院や、サン・ピエール教会がそびえるモンマルトルの風景を描き続けたのである。《シュヴァリエ・ド・ラ・バール通り、モンマルトル》は、ユトリロが33〜34歳の時の作品である。その少し前まで彼は、白のマチエールが美しい「白の時代」の住人だったが、この頃から「色彩の時代」へと移行する。とはいえ、正面に白亜のサクレ・クール寺院が輝く本作は、「白の時代」の気分をたっぷり残した、ユトリロらしい作品ということができるだろう。
画家としての成功と、人間としての苦しみ。ユトリロにそれらをもたらした人物は、間違いなく母であるシュザンヌ・ヴァラドンといえる。
1865年、貧しい洗濯女の婚外子として生まれたヴァラドンは、15歳の時に憧れていたサーカスの空中ブランコ乗りになるものの、落下して再起できずモデル業に転身。生来の美貌と人懐こい性格で売れっ子となり、ルノワールの《ブージヴァルのダンス》や《都会のダンス》など、名画の中にその姿を残した。ユトリロが2歳ぐらいの時にヴァラドンが同棲していたロートレックも、彼女をモデルに《二日酔い》という忘れ難い作品を残している。
モンマルトルの街頭で制作する晩年のユトリロ。実際には茶化されることを嫌い、ほとんど屋内で制作していたというユトリロは、後年は絵葉書をもとに記憶をたどりながら絵を描いていた。©Aflo
本記事は2020年7月27日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 35