THE FIRST AND LAST GENTLEMAN
最初で最後のジェントルマン、エディンバラ公爵フィリップ殿下
May 2022
2011年のバッキンガム宮殿のガーデンパーティにて。殿下が女王から1歩下がりつつも、常に女王の隣にいる様子をよく表した1枚。
バッキンガム宮殿入りしたフィリップ殿下は、「我々は王室をうまく機能させなくてはならない」と宣言したと伝えられ、ヴィクトリア時代から続いていた旧態依然とした王室を20世紀へと牽引した。殿下は自ら電話に応対し、史上初めて生産された携帯電話の1台を持った。女王のために洗濯機を買い、ノートパソコンをいち早く導入したのも殿下である。ドリンクも自分で作り、スーツケースも自分で運んだ。従僕には、「私にはちゃんと手がある」と告げたという。
殿下はパイロットでもあり、ヨット愛好家でもあり、乗馬に関する著作もある国際的な馬術家でもあった。殿下の蔵書は13,000冊を超えており、軍事史関係の書物はもちろん、料理本のような予想外のものまで、そのジャンルは実に幅広い。また、世界自然保護基金の初代総裁として環境保護に熱心に取り組む、気候変動の専門家でもあった。エディンバラ公賞の創設者としては、厳しい心身の鍛錬という自身が学んだゴードンストウン校の教えを学生たちに繰り返し説いた。朝食には自分で目玉焼きを作り、サンドリンガムには収益性の高い宿泊施設を設け、90歳を過ぎても年間300件もの公務をこなしていた。
アン王女が手を伸ばす、愛に溢れた瞬間(1951年)。
そうした多くのものに情熱を注ぐ一方で、はっきりと嫌うものも多かった。例えば、“人に対する気遣い”(1960年には「口を開けてそこに足を突っ込む科学」という意味のdontopedalogyという用語をつくった)、“ジャーナリスト”(由緒あるガーデニングのイベント、チェルシー・フラワー・ショーでは、報道陣に向けて「うっかり」ホースで水をかけた)、“政治家”(彼らの「何かを成し遂げる」能力の欠如をいつも厳しく非難していた)、“弱い心”(「尖った人」という自身の評判にかなりのプライドを持っていたようで、一部からは称賛された半面、自身の子どもたちを含めたその他の人たちからは非難されていた)などだ。
そういう尖ったところは時とともに記憶から消えていくだろうが、フィリップ殿下の仕事への献身が消えることはない。殿下は2020年にエディンバラ公賞計画を通じて発表した提言の中で「他人のためではなく、自分のために服を着るべきだ」と述べている。殿下の装いは、制服のときも、長年の御用達であるケント・ヘイスト&ラクターのジョン・ケントが仕立てた服のときも、いつも完璧だった。どこにいるときも準備を怠らず、それらしい装いをきっちり意識していた。リッチ・ハットンはこう語る。
「休日などないような意識でいらっしゃった。すべてのものに対して、慎重かつ献身的にプロ意識を持って取り組まれていました。ぞんざいになさることはありませんでした」
それが、殿下がファースト・ジェントルマンであり、最後のジェントルマンであるゆえんだろう。殿下のような人物はもう現れないに違いない。
ロイヤル・ウィンザー・ホース・ショーにて(1954年)。