Thursday, September 24th, 2015

Sex, Drugs and Moroccan Roll

—背徳の街に集ったセレブリティたち−
ソドムとゴモラに始まり、バビロンなどに代表される悪徳の街。人類の歴史には、
快楽主義的な人間のたまり場が数多く見られる。1960年代、ジェットセッターや
セレブリティたちが集っていたモロッコも、そんな場所の一つだった。

by nick foulkes

ストーンズも常連 タリサは、スウィンギング・ロンドンのセレブたちを大勢自宅に招いていた。クリストファー・ギブス、ローリング・ストーンズ、アニタ・パレンバーグ、マリアンヌ・フェイスフル、オジー・クラークという顔ぶれだ。来客たちは、この家に来てはドラッグを楽しんだ。しかもかなり大量にだ。彼女自身がゲスト全員に、マリファナ入りケーキを切り分けていたという。
 ゲッティ夫妻の財産は、まさに無限に近かった。そのおかげで、すべてを忘れられる媚薬をいくらでも買うことができた。キース・リチャーズによれば、ゲッティとタリサの夫妻は、「最高級の最も純度の高いアヘン」を持っていると、いつも自慢していたそうだ。
 ストーンズにモロッコを紹介したのは、イートン校出身の貴族で骨董商のギブスだった。彼はひどいドラッグ中毒者だったが、かなりの洒落者でもあり、フレアンツをロンドンで初めて穿いた男だといわれている。経営するチェルシーの骨董店に、タンジールからさまざまな珍品やカーペットを仕入れていた。
 1966年夏、彼はけんか中だったアニタ・パレンバーグとブライアン・ジョーンズをモロッコへ連れて行く。
「この旅行は、ブライアン・ジョーンズに、初めてエルモア・ジェームスを聴いたとき以来の最大の影響を与えました」とストーンズの伝記を書いたフィリップ・ノーマンは語る。
「複雑な彫刻が施されたパイプを使って、ハシシを楽しむことだけではありません。ガラスやシルバーのビーズが付いたカフタンやジャラバ、マント、ベストなどのファッションだけでもありません。ブライアンはモロッコへ来て、スピリチュアルでもあり俗っぽくもあるこの国の日常が、音楽とは切り離せないことに気づいたのです」
 ドラッグ所持で逮捕された有名なレッドランズ事件の後、ストーンズは騒動を避けるため、モロッコへ向かう。車には、「ポップアートが描かれたクッション、深紅のファーのラグ、ポルノ雑誌」といった旅の必需品が揃っていた。
 根っからのセレブで日記をつけるのが習慣だったセシル・ビートンは、ちょうど当時マラケシュに滞在しており、このロックグループと出会った。ビートンの日記には、深夜に大酒を飲み泥酔したカップルのこと、華やかなファッションやマリファナ入りケーキ、マリファナ用のパイプのことが記されていた。日記の最後は、このような見解で締めくくられる。
「なんてふしだらな連中だろう。いらいらしても仕方ない。彼らの未来を憂うばかりだ。彼らの才能はドラッグのせいでダメになってしまうだろう」
 ところがそれからおよそ50年。悲惨な晩年を送ったブライアン・ジョーンズは例外として、セシルの懸念は取り越し苦労に終わったようだ。いまだ、ローリング・ストーンズの勢いはとどまるところを知らない。

ゲッティ夫妻の悲惨な最後 一方、ヒッピー界のゴールデンカップル、ゲッティ夫妻には同じことは当てはまらなかった。親しかったリッチフィールドが撮影した写真を今見ると、そこには、絶頂期のサイケデリックな魅力のまま、永遠に時が止まった若いカップルがいる。この美しい女性が約20カ月後にはヘロインのせいで命を落とし、愛妻家の夫は世捨て人になってしまうとは、当時誰が思っただろうか。ゲッティ夫妻の結婚生活の終末は、華やかだったその始まりとは対照的にみじめなものだった。
 1971年にはドラッグ中毒が原因で夫婦仲が破たんし、夫は離婚手続きを始める。7月10日、タリサは和解に向けて話し合おうとローマへ向かうが、翌朝3時まで続いた言い争いは平行線に終わった。続く14日、正午近くに夫がもうろうとしながら目覚めたときには、妻は二度とその目を開かなかった。一晩中、昏睡状態で、その後心不全を起こし、朝方には亡くなっていたのだ。
 ゲッティの隠居生活は15年ほど続いた。中毒と引きこもりを克服できたのは、クリケットへの愛によるところが大きいといわれるが、そのきっかけを作ったのは、他でもないミック・ジャガーだったという。

ジョン・ポール・ゲッティ・ジュニアと妻のタリサ。1968年撮影。

結婚式の後で。1966年撮影。

生まれたばかりの息子を抱くタリサ。

ジェームズ・フォックス、ミック・ジャガー、写真家のセシル・ビートン。1968年撮影。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 05
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