Thursday, September 24th, 2015

Sex, Drugs and Moroccan Roll

—背徳の街に集ったセレブリティたち−
ソドムとゴモラに始まり、バビロンなどに代表される悪徳の街。人類の歴史には、
快楽主義的な人間のたまり場が数多く見られる。1960年代、ジェットセッターや
セレブリティたちが集っていたモロッコも、そんな場所の一つだった。

by nick foulkes

「警察から逃げている人、もしくは単に何かから逃げたいだけという人も、ぜひこの土地へ来るべきだ。丘に囲まれ、海に面したここは、1 年のうち8カ月は素晴らしい気候に恵まれている。ここはまるで、アフリカ沿岸に掛けられた白いケープのようだ」
 1950年、若き日のトルーマン・カポーティは、タンジールについて興奮気味にこう書いている。
「ここに来る前にしておくべきことが3つある。それは、腸チフスの予防接種を受けること。銀行から預金を引き出すこと。そして友人に別れを告げることだ。きっと、二度と会えないだろうから。これは真面目な忠告である。短い休暇でここを訪れ、そのまま住み着いてしまい、何年も過ごすという者は驚くほど多い。なぜならここは、時間を超越した場所だからだ。滝の水流がごとく、日々が過ぎ去っていくのだ」

官能主義者のたまり場 かつて、北アフリカの地中海沿岸の魅惑的な暮らしが、人々の想像力をかき立てた時代がある。マグレブ地域は、アラブの春やアマングループの進出よりもずっと前に、セレブリティたちの間では、人気のリゾート地となっていた。
 当時の北アフリカは、まだヨーロッパの支配下に置かれていた。アルジェリアはフランスの海外県で、1962年に独立を果たすまで、植民地支配者に対抗する戦いが続いていた。一方、チュニジアとモロッコは共に、5 0 年代半ばまでフランスの保護領だった。
 しかし、それらは同時にアフリカでもあった。その地のモラルは、少なくともヨーロッパやアメリカからの移住者にとっては、ないに等しいほど緩やかだった。かつて、アメリカ人が自分の楽しみを満喫するためにキューバを訪れていたように、北ヨーロッパの人々は、緩いモラルと過ごしやすい気候を求めてタンジールを目指した。 あらゆる悪行がはびこる、にぎやかな歓楽街のような場所だ。戦時中に国際管理地域に指定され、それが1 9 5 6年まで続いたことが、この街の魅力を高める一因となった。
 この地域の美しさとデカダンスに多くの人が注目するきっかけを作ったのが、ポール・ボウルズだ。彼がこの地を初めて訪れたのは、1930年代初めのこと。40年代には住み着くようになり、20世紀末に亡くなるまで永住する。彼にとっては小説の執筆に最適な場所だった。彼の小説は、イギリスが誇る伝説の写真家セシル・ビートンの言葉を借りれば、「最新スタイルのデカダンスと孤独」で構成されており、「内に隠れた性欲を刺激するエキゾチックな文化に、衝撃を受けた白人が自分の世界からの孤立を感じながら、荒廃し、ぼろぼろになって死んでいく」というテーマを追求したものだった。
 タンジールは、少ない予算でぜいたくな生活を楽しもうとする、いかがわしい官能主義者のたまり場だった。ボウルズ同様に30年代にこの地を発見したのが、第15代ペンブルック伯爵の怠け者の次男、デイヴィッド・ハーバートだ。彼はタンジールでは、街を見渡せる山の上に建つ大豪邸で、王様のような生活水準で暮らしていけることを知る。
 18世紀の家具や立派な肖像画など、彼が手放した特権としきたりの世界をしのばせるガラクタが置かれた迷路のような部屋で、彼は数十年もの間、取り巻きの人間に囲まれて過ごし、ペンブルック家の紋章が入った磁器のグラスや銀製品で、ディナーを催したりしていた。

ジョン・ポール・ゲッティ・ジュニアと妻のタリサ。1970年、マラケシュの別荘のテラスにて。パトリック・リッチフィールド撮影。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 05
1 2 3 4