La Vida Bella

秘密の楽園、マルベーリャ

February 2018

text nick foulkes

一緒にカクテルを楽しむ人々(1970年代)

モーテルとして始まったクラブ ハンサムなだけでなく冒険心にあふれていたアルフォンソは、ニューヨークへの留学経験があった。農業を学ぶことが渡航の本来の目的だったが、帰国したときにはニューヨークのナイトクラブやレストランのエキスパートになっていた。彼に手ほどきしたのは、伝説的なプレイボーイで、後に“jet set(ジェット族)”という言葉を生み出した芸能記者のギギ・カッシーニだった。

 ニューヨークでの“修行”をひと休みしたアルフォンソは、父に言われるまま、南スペインへ向かったのだった。そこで彼は、ただ同然の値段で買われたマンハッタン島を彷彿とさせるような、非常に割のいい不動産取引を成立させた。オリーブ園が広がる18万平方メートルの浜辺の農園、フィンカ・サンタ・マルガリータを、彼はわずか15万ペセタ(当時の金額で、約10万円相当)で手に入れたのだ。

 1950年頃、アンダルシアで土地を買う者は珍しかった。農業はほとんど儲からなかったし、電話線などの必需品は闇市場でしか調達できなかった。追いはぎや内戦の生み出した無法者がはびこっていたことも頭痛の種だったのだ。

 しかしマルベーリャには、当時のヨーロッパを覆っていた陰鬱さがなかった。アルフォンソの家は、すぐに大勢の客であふれるようになった。そこで彼が思いついたのが、アメリカで見たようなホテルを建設することだった。彼はこう語る。

「実際はモーテルのようなものだった。カリフォルニアのモーテルで暮らした経験があったからね。だから、最初はマルベーリャ・クラブ・モーテルと呼んでた。その後、ここに泊まりたがっている皆の様子を見て、もう少し独立した形で過ごせるようにバンガローも建設したんだ」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 11
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