A super sad true love story

悲劇の写真家、ボブ・カルロス・クラーク

March 2024

パトリック・リッチフィールドがロンドンで主催したパーティーでのボブ・カルロス・クラーク(1991年)
IMAGE: REX FEATURES

 展覧会は成功した―と思いきや、称賛の声はほんのわずかで、彼はヘルムート・ニュートンと同類と見なされた挙句、ニュートンより下に位置付けられてしまった。

 エージェントのギスラン・パスカルは、これに異を唱えこう語る。

「カルロス・クラークとヘルムート・ニュートンには根本的な違いがある。それはニュートンは、あくまでもファッション・フォトグラファーだということだ。彼は広告キャンペーンの撮影をし、それからそれらの写真を、芸術作品として売り出した。カルロス・クラークがやったことは、その逆だ。彼はニュートンを評し、自分の写真の方がリアルだと言ったものだ」

 カルロス・クラークは挫折感と被害妄想に囚われ始めた。案の定、それは結婚生活に影を落とした。『オブザーバー』に掲載された記事によると、「別れる」というリンジーの脅しに、彼はひどく取り乱していたという。

「私は彼に、『こんな生き方はできない』と言ったんです」とリンジー。

「愛されず、抱かれず、話しかけられもせず。ただのロボットのようでした……」

 2006年のはじめ、リンジーに勧められ、カルロス・クラークはロンドンのプライオリー・ホスピタルに入院した。精神科医はリンジーに対し、彼の精神面の成熟度は8歳児程度だと告げた。同年3月25日、カルロス・クラークは退院の手続きをし、近くの駅まで歩いて行くと、列車の前に飛び込んだ。

最後の芸術的写真家 それから10年の間、リンジーとパスカルは、カルロス・クラークが遺したものを守ろうと努力してきた。彼の置き土産を集めたギャラリーをチェルシーに開設し、美術館での展示に向けても動いた。

 その結果、ナショナル・ポートレート・ギャラリーで選りすぐりの作品が展示されることになり、また英国国立メディア博物館へ、100点もの作品が寄贈されたという。

 彼の作品は着実に売れ続けており、購入者の多くは女性だという。また、カルロス・クラークが溺愛した娘のスカーレットが、写真家としてのキャリアを築きつつあることも感慨深い。彼女にとって、父親はやすやすと太刀打ちできる相手ではないだろうけれど。

 パスカルは言う。

「カルロス・クラークは偉大な芸術家としての写真家たちの、最後を飾った存在だ。当時の彼のスタジオを思い出す……そこでは、彼こそがショーの主役だったのだ」

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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