LIVE LIKE A KING: CLARK GABLE

王のように生きた男
クラーク・ゲーブル

Friday, May 1st, 2020

黄金時代の“キング・オブ・ハリウッド”といえば、間違いなくクラーク・ゲーブルだ。

エレガンスと男らしさを、彼ほどバランス良く体現した男はいない。

 

by christian barker 

 

 

 

 数少ない銀幕の大スターと呼ばれる男たちは、スーツの歴史を変える力を持っていた。クラーク・ゲーブルのように。

 

 ワーナーブラザーズのボス、ダリル・F. ザナックは、ゲーブルのことを「若く、強く、野蛮で、男性的」であると評した。別の言い方をすれば、ゲーブルについて、こう述べている。

 

「彼はまるでゴリラのようだ」

 

 しかし、エレガントな服装と態度で相殺された、この“強さ”こそが、ゲーブルの魅力を大衆にアピールした。外観は非常に洗練されていたが、決して気取ってはいなかった。「これぞ本物の男、まるで“イヴニングを纏ったランバージャック(木こり)”のようだ」

 

 そうスタジオのマーケティング部門は喧伝した。

 

 

 

 

 この相反するふたつの要素——アウトドア的な男らしさと、都会的な洗練さ−−は、ゲーブルの初期の頃からの特徴だった。

 

 男の子として、彼は父親(オハイオ州の油田掘削人および農夫)に励まされ、ハンティング、自動車整備士、その他の力仕事などに従事した。しかしプライベートでは、シェイクスピアのソネットを唱和し、ピアノや金管楽器を嗜んだ。

 

 ゲーブルは20代前半に演劇界に進出した。(苦労している役者によくあるように)ウエイターとしてではなく、ステージにおける出演で、ぼちぼちと稼げるようになっていく。しかし、馬の世話係や油田で働くなど、男としての仕事も続けていた。

 

 女性たちはラギッドでありながらピュアでもある、この俳優に夢中になっていった。しかしそれは、彼の最初の妻であるオレゴン州ポートランドの劇場マネージャー、ジョセフィーヌ・ディロンの経済的援助のおかげだった。彼より17歳も年上だったが、彼女の助力で、ゲーブルはハリウッドに行く前に、スキルと外見(歯を固定し、演技と音声のトレーニングを受けた)を磨くことができた。

 

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 多くの取るに足らない作品の後、『惨劇の砂漠』(1931年)というB級ウエスタンへの出演が映画ファンの注目を集め、ファンレターが洪水のように送られて来て、MGMとの契約にサインするに至った。

 

 スターダムに上りつめたゲーブルは、ジーン・ハーロウ、ラナ・ターナー、ノーマ・シアラー、グレタ・ガルボ、ジョーン・クロフォードなど、当時最高の女優たちと共演した。

 

 クロフォードについては、夫であるダグラス・フェアバンクス・ジュニアの目を盗んで、浮気を重ねた(当時のフェアバンクスの業界での地位を考えると、それは至難の技であったに違いない)。そして長年にわたって、オンとオフの関係を楽しんでいる。

 

 

 

 

 映画『或る夜の出来事』(1934年)でアカデミー主演男優賞を射止め、『戦艦バウンティ号の叛乱』(1935年)における花形、フレッチャー・クリスチャン役で、ゲーブルはその地位を確立した。1938年の新聞投票で、約2000万人のファンにより“キング・オブ・ハリウッド”と名付けられた。

 

 翌1939年の南北戦争の一大叙事詩『風と共に去りぬ』では、ゲーブルは最も人々の記憶に残る役を演じた。ひどく失敬で、率直な南部の紳士、レット・バトラーを演じ、ハリウッドを支配するスターとしての名声を、不動のものとした。

 

『風と共に去りぬ』は、“史上最高の映画”リストTOP5の常連であり、当時のレートをインフレに合わせて調整すると、史上最高益を上げた映画であり続けている。この成功は、ゲーブルの絶妙な演技によるところが少なくない。映画は、男らしさと洗練された物腰、そして時には、脆弱な感受性とのバランスをとる、彼の能力を証明した。

 

 

 

 

 レット・バトラーのキャラクターのように、ゲーブルはプライベートでも悲劇に見舞われた。彼の3人目の妻キャロル・ロンバードは1942年、軍隊への慰問中、飛行機事故で死亡した (ロンバードは、第二次世界大戦の米国における、最初の女性の犠牲者と宣言された)。

 

 この出来事により、ゲーブルはスタジオの反対を押し切って米空軍に入隊し、B-17爆撃機の砲撃助手を務めた。ヨーロッパ戦線でいくつかの戦闘ミッションをこなし、その功績により、“エア・メダル”と“殊勲飛行十字章”を受章した。

 

 

 

 

 彼は引き続き女性に人気を博したが(『モガンボ』の共演者、グレース・ケリーを含む一連のハリウッド女優を誘惑した)、ゲーブルの戦後の映画キャリアは、彼の最後の映画である『荒馬と女』(1961年)を除いて、目立つものがない。

 

 監督ジョン・ヒューストン、脚本アーサー・ミラーのドラマ(マリリン・モンローの最後の映画でもある)は、ゲーブルが彼の最高のパフォーマンスであると信じていたものを生み出した。

 

 しかし、撮影は大変だった。59歳の俳優は、年老いた牛泥棒としての役作りのため、体調を崩すようなダイエットを続け、無理をして彼自身でスタントをこなしていた。

 

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 この男の中の男、“イヴニングを纏ったランバージャック”は、毎日3箱のタバコに加え、数本の葉巻とパイプを吸っていた。『荒馬と女』の撮影が終わったわずか2週間後に、彼は3回目の心臓発作で倒れ、帰らぬ人となった。

 

 しかし最後まで、彼はエレガンスとマスキュリニティを失わなかった。ゲーブルは彼の男らしさへのビジョンを要約し、次のように述べている。「男が持つべきものは、“人生の賭け”に対する希望と自信だ。戦いに対するプリンシプルを持ち、物事に不誠実になる前に、長々と言い訳を並べる前に、死に対する覚悟を決める。それだけのことなのだ」

 

 

 

 

 ゲーブルが演じた役の多くは、このビジョンに貫かれている。素晴らしいスタイル・センスを持ち、都会的な男らしさを体現し、最高の演技を披露し、たくさんの女性に愛され、彼は本当にいい人生を送った。カウボーイ、プレイボーイ、兵士、そしてスター……。

 

 ハリウッドの王であり、典型的なTHE RAKEであるこの自称“ラッキー・スロブ”に、心から敬意を表する。

 

本国版(英語)の記事はこちらから

 

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