A super sad true love story

悲劇の写真家、ボブ・カルロス・クラーク

March 2024

『For Dolls That Do Dishes(皿洗いをするお人形さんのために)』
モデルは、レイチェル・ワイズ(2004年)
© THE ESTATE OF BOB CARLOS CLARKE / THE LITTLE BLACK GALLERY

 だが彼が熱中したのは、ロンドン南西部にある自身のスタジオで、見知らぬ無名の女性たちの顔(と体)を撮影することだった。彼は自らの撮影を、写真家とモデルによる“パ・ド・ドゥ(2人舞踏)”と呼び、没頭した。

 1994年の『アマチュア・フォトグラファー』誌にて「写真家には月並みなヌード写真とも、安っぽいポルノとも異なる、絶妙なバランス感覚が求められる」と述べた。そのバランスを実現したカルロス・クラークの作品は、評論家たちの注目を浴びた。そのひとりは、オークションハウス、クリスティーズの写真部門でトップを務めたフィリップ・ガーナーだ。

 サイモン・ガーフィールドによるカルロス・クラークの伝記、『Exposure(露出)』にて、ガーナーはこう語っている。

「彼が撮影しているものは、自らの欲望の対象なのか、それとも恐怖の対象なのか? 答えはその両方ではないかと、私は思っている。性の力は恐ろしいものだが、写真に収めるというのは、その力を服従させる手段だ。彼の写真には女性の肉体に対する、凄まじいほどの渇望が封じ込められている。彼の表現は、フェティシズムやサディズムに特有の陳腐さを超越し、ひとつの世界を創造している」

撮影はセックスと同じ 裸の女性に囲まれてばかりいると、当然、彼女たちと寝たいという誘惑にかられる。しかしそれは彼にとって、蜜にも毒にも思えた。妻リンジー・カルロス・クラークは、ガーフィールドに語った。

「私は彼に、『モデルと寝る写真家を、なぜうらやむの? それでいい写真が撮れるのであれば、あなたもそうすればいいじゃない』と言ったの。でも彼はそうしたい反面、家に飛んで帰りたいという気持ちも抱えていたのよ」

 完璧な1枚が撮れない限り、カルロス・クラークは、モデルといつまでも仕事を続けようとした。新たな逸材を見つける行為を、浜辺の漂着物を収集して楽しむビーチコーミングに例えた。

「彼は写真を撮ることによって、モデルの女性たちを所有しているように感じていたの」とリンジーは言う。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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