A super sad true love story

悲劇の写真家、ボブ・カルロス・クラーク

March 2024

『Masked Blonde(仮面を着けたブロンド)』(1996年)
© THE ESTATE OF BOB CARLOS CLARKE / THE LITTLE BLACK GALLERY

 カルロス・クラークはこの頃、自身の方向性を左右するもうひとりの重要な(かつ謎めいた)人物と知り合った。

“ザ・コマンダー”と呼ばれたこの男性は、「非の打ちどころのない、60代の銀髪の紳士」で、彼にロンドンのフェティシズム界を紹介した。

 この時カルロス・クラークの興味をかき立てたのは、フェティシズムの行為よりも、ラバーに身を包んだ女性を撮るというアイデアだった。フェティシズムはニッチで物議を醸しやすいジャンルだったが、彼は躊躇しなかった。それどころか、その後の10年間は、ピンヒールをはいた女性たちを、ひたすら撮り続けた。

「おかげで10年後には、自分でも恥ずかしくなるような評判が定着し、田舎のアダルトショップの代名詞になったよ」

他人にヌードモデルを依頼するには カルロス・クラークによれば、赤の他人にヌードモデルを依頼するときには、守るべき14カ条のルールがあるという。

 その第1条は、「魅惑的な写真が印刷された、クールなデザインの名刺は、アプローチの必須要素だ」というもの。そして第14条は、「疑わしければ、モデルが成人年齢を超えているか確認すべし。さもなくば、次のスタジオは、採光の悪い国 営施設になりかねない」という文言だ(カルロス・クラークは、写真のみならず言葉の扱いも巧みだった)。

 彼は70年代半ばから90年代にかけて、英国の写真界に高いポジションを獲得した。作風は陰鬱で、ゴシック的かつ未来的。のぞき見的な面白さを持ち、時には茶目っ気も感じさせた。彼はラバーとラテックスについて、「体を包み、光り輝く第2の皮膚となって、輪郭を際立たせるところが魅力だ」と語った。

 そして広告業界で仕事を始めると、レイチェル・ワイズ、ディタ・フォン・ティース、ジェリー・ホール(ミック・ジャガーの元妻で、84歳のメディア王ルパート・マードックと59歳で再婚した)といったセレブたちを前にシャッターを切った(ジェリー・ホールに至っては、生きたアリゲーターの上で撮影された)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 15
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