A super sad true love story
悲劇の写真家、ボブ・カルロス・クラーク
March 2024
『Incendiary Blonde(扇情的なブロンド)』(1985年)
© THE ESTATE OF BOB CARLOS CLARKE / THE LITTLE BLACK GALLERY
「ハリケーンに襲われたり、大惨事に見舞われると、われわれは過ぎ去った日々や、愛する人々の画像にすがり付く。それがまるで、本物であるかのように」
「写真とは、われわれが実在し、かつては丈夫で若々しく、時には美しかったことを示す、唯一の物的証拠だ」
こうした言葉は、ボブ・カルロス・クラークの自著『Shooting Sex(セックスの撮影)』に登場する。その出版から4年後の2006年に、彼は自ら死を選んだ。
著名な写真家であった彼は、暗室では甘い夢を次々と紡ぎ出したが、その夢を現実のものにすることはなかった。
クリエイターとしてマンネリを忌み嫌う反面、秩序とコントロールを求めて必死になった。安易な商品化をよしとしない、誇り高き芸術家でありながら、自らの老いを受け入れられない、未熟な男でもあった。
魅力的な女性にすぐ夢中になるくせに、妻なしでは生きられなかった。彼の写真は女性を美しく輝かせたが、フェミニストには目の敵にされた。作品は肉体的快楽への衝動を、一貫して表現していた。
情け深い人柄に似合わぬ、研ぎ澄まされた刃物のような冷酷さを持っていた。明るいムードメーカーであったにもかかわらず、「神格化されるためには、若くして死ぬことが不可欠だ」と考えていた。
身を焼くような渇望感 カルロス・クラークは、自分にここまで女性を撮りたいと思わせるものは何なのかと自問した。そしてその答えが、自らの生い立ちにあるということを認めていた。彼は1950年に、アイルランド南部のコークで生まれた。父チャールズ・カルロス・クラークは、2度の世界大戦で戦った元少佐だった。母マイラは労働者階級出身で、チャールズより30歳年下の3番目の妻だった。