January 2022

WHAT SLIM SAW

写真家 スリム・アーロンズが見たもの

text nick foulkes

第二次大戦が人生を決めた 同世代(1916年生まれ)の多くがそうであったように、彼の人生を決定づけた出来事は第二次世界大戦であった。アーロンズは陸軍に入隊し、ドワイト・アイゼンハワーの息子が士官候補生として通っていたウエストポイント陸軍士官学校の公式写真家となった。

 するとあるとき、映画監督のフランク・キャプラが、雑誌「ヤンク」のための人材を探しにやってきた。ヤンク誌は、米軍が発行していた週刊誌で、日刊紙「スターズ・アンド・ストライプス」の週末付録のような役割を果たしていた。「私は幸運だった」とアーロンズは言った。「キャプラは背の高い男が好きだったから、すぐに意気投合したよ。彼は私に、『ヤンク誌のカメラマンになって、戦争の写真を撮りに行かないか?』と聞いてきたので、『いいよ』と答えたんだ」。

 彼は、ヨーロッパ行きのパンナム・クリッパーに搭乗することになった。ロンドンに到着して最初にしたことは、息子からアイゼンハワーへの手紙を、司令部に持って行くことだった。その後は、ロンドンの人々に延々と酒をおごってもらった。「ヒトラーが大暴れしていて、イギリスは大変なことになっていたんだ」と彼は言った。現地の習慣を守るために最善を尽くした。「隊員たちには、イギリスでの振る舞い方について小さな冊子が配られていた。それには、女の子が “7時にノックアップして”と言ったら、それは“7時に妊娠させて”ではなく、“7時に電話して”という意味だと書いてあった」

ファンレターのなかに埋もれるマリリン・モンロー。

 彼は、ダウニング街10番地にウィンストン・チャーチルが在宅しているかどうかを確認しに行ったこともあるそうだ。

「セキュリティ担当者は言ったよ。『申し訳ないが、彼はここにはいない。彼はモスクワにいるんだ。ええと……スターリンと一緒に』とね」

 アーロンズはアレキサンダーやモンゴメリー将軍と一緒に西部砂漠戦線に行ったときの素晴らしい話もしてくれた。

「ロンメルの誕生日にロンメルを取材しようとしたが、彼はちょうどトイレに行っていて、取り逃がしてしまった」

俳優マルチェロ・マストロヤンニと友人の編集者コンスエロ・クレスピ。コスタズメラルダにて(1968年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 42
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