January 2022

WHAT SLIM SAW

写真家 スリム・アーロンズが見たもの

text nick foulkes

フェラガモのファミリー。トスカーナのレジデンスにて。

すべてはデタラメだ アーロンズは、自分が撮影したほとんどの人々よりも人脈が広くなった。最も有名な逸話のひとつは、ロイヤル・アスコットにまつわるものだ。彼は、ロイヤル・エンクロージャーに入るのに苦労していたか、写真を撮ろうとしてトラブルに巻き込まれたかしていた。そこに親しい声で名前を呼ばれた。その声の主こそ、今は亡きエディンバラ公で、アーロンズがトラブルに巻き込まれないように気を配ってくれたのだった。

「フィリップ殿下の写真をたくさん撮っていたから、殿下が僕のことを知っていたんだ」とアーロンズは説明した。

 殿下は撮られたことを喜んでいた。しかし、それを喜ばない人なんていないだろう。彼の写真はほとんど例外なく、被写体を喜ばせた。にもかかわらず、アーロンズは作品を売らなかった。「上司はいなかった」と彼は言った。

「私は自分のやり方で物事を進めた」

 ある元編集者によると、彼は自分が撮影した王族や貴族を自慢するのが好きだった。そして、彼は必要に応じて被写体をその場に立たせる方法を知っていた。インタビューしている間、彼は共通の友人のことをヨーロッパのマイナーな貴族だと表現していた。20年近く前のことだが、“マイナー”という言葉が特に重要だったことを覚えている。

 また、2016年に公開されたドキュメンタリー映画『Slim Aarons: The High Life』の中で、彼のアシスタントだったローラ・ホークは、パーム・ビーチでのあるパーティのことを思い出している。彼は製紙業を継いだ富豪のジム・キンバリーにぶつかり、「クリネックスとコテックスの人」と声をかけ、キンバリーを憤然とさせたという。「彼は人をからかったり、小言を言ったりするのが好きだった。それが彼のやり方だった」とホークは言う。

カプリ島のホテル・プンタ・トラガーラで肌を焼く人々(1974年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 42
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