Wednesday, October 28th, 2020

The LAST TYCOON

最後の大君

text ed cripps

大理石の浴槽の縁に座り、電話で話すエヴァンス。5ツ星ホテルのような自宅の浴室だ。

頂点からどん底へ エヴァンスは当初、業界では挫折した俳優に過ぎないと嘲笑されていたが、芸術性と収益を両立させるポイントを次々と的確に見極めることで、パラマウントにハリウッド随一の成功をもたらしてゆく。『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)、『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』(1971年)、『セルピコ』(1973年)、『カンバセーション…盗聴…』(1974年)、『チャイナタウン』(1974年)など、60年代後半から70年代にかけての彼の活躍は天下無双である。『ミニミニ大作戦』(1969年)や『華麗なるギャツビー』(1974年)など、中身よりスタイルを前面に出した映画もあった。

 最も記念碑的な功績は『ゴッドファーザー』(1972年)だろう。その制作は、配役や監督選びをめぐる芸術観の食い違いによって難航した。エヴァンスの主張によると、彼が編集段階でフランシス・フォード・コッポラ監督に1時間近く尺を追加するよう指示したおかげで「出来の悪い“予告編”でなく、優れた“映画”になった」のだという。アカデミー賞の作品賞・主演男優賞・脚色賞に輝いた同作は、アメリカ映画の主流派の野望を恒久的に変えた名作である。

 エヴァンスの交友関係は華やかさと豪胆さで彩られていた。*シャロン・テート殺人事件の夜、エヴァンスもロマン・ポランスキー邸に招かれていたが、運よく編集作業が長引いて遅れたため、九死に一生を得た。根っからのギャンブラーであり、若い頃はこれほどまでの幸運に恵まれたエヴァンスだったが、1980年代になると風向きが逆転した。パラマウントを離れて独立した彼は、最初こそ2、3本のヒットを飛ばしたものの、その後は利益と評価の両面で失敗続き。触れる物をことごとく黄金に変えるようだった彼の姿は、もうそこにはなかった。

*シャロン・テート殺人事件 = 1969年8月、ロマン・ポランスキー監督が撮影で留守の間、妊娠8カ月だった妻で女優のシャロン・テートと自宅に招かれていた来客者全員が狂信的なカルト集団によって殺害されたハリウッド史上最大の悲劇。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 36
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