Sex, Drugs and Moroccan Roll

背徳の街に集ったセレブリティたち

September 2015

by nick foulkes

生まれたばかりの息子を抱くタリサ。

 根っからのセレブで日記をつけるのが習慣だったセシル・ビートンは、ちょうど当時マラケシュに滞在しており、このロックグループと出会った。ビートンの日記には、深夜に大酒を飲み泥酔したカップルのこと、華やかなファッションやマリファナ入りケーキ、マリファナ用のパイプのことが記されていた。日記の最後は、このような見解で締めくくられる。

「なんてふしだらな連中だろう。いらいらしても仕方ない。彼らの未来を憂うばかりだ。彼らの才能はドラッグのせいでダメになってしまうだろう」

 ところがそれからおよそ50年。悲惨な晩年を送ったブライアン・ジョーンズは例外として、セシルの懸念は取り越し苦労に終わったようだ。いまだ、ローリング・ストーンズの勢いはとどまるところを知らない。

ゲッティ夫妻の悲惨な最後 一方、ヒッピー界のゴールデンカップル、ゲッティ夫妻には同じことは当てはまらなかった。親しかったリッチフィールドが撮影した写真を今見ると、そこには、絶頂期のサイケデリックな魅力のまま、永遠に時が止まった若いカップルがいる。この美しい女性が約20カ月後にはヘロインのせいで命を落とし、愛妻家の夫は世捨て人になってしまうとは、当時誰が思っただろうか。ゲッティ夫妻の結婚生活の終末は、華やかだったその始まりとは対照的にみじめなものだった。

 1971年にはドラッグ中毒が原因で夫婦仲が破たんし、夫は離婚手続きを始める。7月10日、タリサは和解に向けて話し合おうとローマへ向かうが、翌朝3時まで続いた言い争いは平行線に終わった。続く14日、正午近くに夫がもうろうとしながら目覚めたときには、妻は二度とその目を開かなかった。一晩中、昏睡状態で、その後心不全を起こし、朝方には亡くなっていたのだ。

 ゲッティの隠居生活は15年ほど続いた。中毒と引きこもりを克服できたのは、クリケットへの愛によるところが大きいといわれるが、そのきっかけを作ったのは、他でもないミック・ジャガーだったという。

ジェームズ・フォックス、ミック・ジャガー、写真家のセシル・ビートン。1968年撮影。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 05
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