April 2018

‘LOOK AT THE WHO! THEY USED EXPLOSIVES!
HOW DID WE GET THE REP?’

レッド・ツェッペリンが残した
クレイジーすぎる伝説の数々

text josh sims

1973年、サンフランシスコのケザースタジアムでのライブパフォーマンス。

 これらの噂は今でもレッド・ツェッペリンの伝説のように語られるが、それはドすべては若者たちの遊びにすぎなかった。ラッグや酒に溺れ、名声など望まず、煩悩に溢れていた時代に絶大なチャンスを掴んだ若者たちが、単にしでかしてしまった出来事にすぎないのだ。「(ああいった行動は)ツアー中のロックバンドにとってはごくありふれたものだったんだよ」とジョン・ポール・ジョーンズは語る。

「ザ・フーだってそうさ! やつらは爆薬を使ってたんだぜ! 俺たちの名前はどうやって売れたと思う?」

 ペイジは魔術師のアレイスター・クロウリーや悪魔主義に傾倒していることを自ら公言しており、クロウリーが住んでいた屋敷まで購入していたほどだ。レッド・ツェッペリンが「悪魔の仕業」と呼ばれるようになったのは、これが原因だったのだろうか。噂の中には、明らかにくだらない邪悪なものもあった。例えば、遊び相手の女性が法的に微妙な年齢だったというものや、最も悪名高い、ボーナムとグラントがトレーラーの中でプロモーターの護衛を殴って暴行したという噂などだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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