July 2015

LA BELLE ET LABÊTE

セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの物語
フランス一純粋で、淫靡だった2人

by joycelyn shu


ゲンズブールの生い立ち
 ロマンチストでありながら、同じくらい皮肉屋でもあったゲンズブール。多面的な彼の心の内を知る手がかりは、彼の生い立ちにある。

 1928年にパリで生まれた彼は、リュシアン・ギンズブルグと名付けられた。ジェーン・バーキンによると、彼は演奏活動を始めるときに名前を変えた。よりアーティスティックな名前を望んだことと、“リュシアン”が彼に理髪師を連想させたことが理由だった。

 彼の両親は、1919年に帝政ロシアからパリへ逃れてきていた。父はクラシック音楽を学んだピアニストで、3人の我が子全員にピアノを教えた人物だが、逃亡先のパリでは、女装バー、キャバレー、カジノで演奏して生活費を稼ぐことを余儀なくされた。

 1940年、パリがナチスに占領されると、ギンズブルグ家の人々は自分たちがユダヤ人であると宣言し、それを示す黄色い星を身に着けることを強制された。一家は偽造書類を使ってリモージュに逃げ延び、戦争が終結してパリへ戻れる日まで糊口をしのいだ。

 陽気さに満ちあふれ、社交的で、大口ばかり叩いているように見えたゲンズブールだが、本来は孤独で、思い悩むことも多かった。彼の性格は、あたかも光と影が同居するチェーホフの作品のように、ロシア的な愁いを含んでいたのだ。

 ゲンズブールの姉、ジャクリーヌ・ギンズブルグは、彼のシニカルなキャラクターは、いつも自分を守るためのものだったと述べている。洗練された仮面の下には、繊細で傷つきやすい心が存在していたのだと。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 02
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