Monday, July 6th, 2015

LA BELLE ET LABÊTE

セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの物語
フランス一純粋で、淫靡だった2人
セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンは、同世代の人々にとって黄金のカップルだった。
2 人の大恋愛は、今なお私たちの心を揺さぶり、魅了し続けている。
by joycelyn shu

ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブールの関係は、当初から物議を醸し続けた。歌手、作詞家、作曲家、ピアニスト、画家、映画監督、作家、ギャンブラー、敏腕音楽プロデューサー、大酒飲み、詩人、女たらし、俳優、厭世家、問題児、現代のボードレール、20世紀のランボー、遊び人、フランスの宝……。
 これほど多くの顔を持つゲンズブールの人生を、簡潔に要約する方法はない。また、死から20年以上経った現在でも、彼の残した多くの作品が強い影響力を保っている理由も、一言では言い表せない。実際に、ポーティスヘッド、ベック、マドンナ、ソニック・ユース、エール、ジョン・ゾーンといったアーティストたちが、ゲンズブールに大きな影響を受けたことを明言している。
 ポップカルチャー界における彼とバーキンの地位は、名曲『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』で不動のものとなった。当時、このデュエット曲は大きな物議を巻き起こした。
 この歌はもともと、ゲンズブールが銀幕の美女、ブリジット・バルドーと一緒に録音したものだった。録音時、2人目の妻と離婚していたゲンズブールは、バルドーと不倫関係にあった。そのバルドーの夫、ギュンター・ザックスは、プレイボーイとして知られたドイツ人の大富豪で、自動車メーカーオペルの創業者一族の出身だった。
 露骨に性的な歌詞、女性の恍惚とした喘ぎ声を特徴とする同曲をリリースすれば、夫を激怒させてしまうと考えたバルドーは、リリースをやめるようゲンズブールに懇願した。ゲンズブールはこれに渋々同意し、1969年にバーキンとともに同曲を再録音したのである。
 ゲンズブールとバーキンが完成させた官能的なレコードは、大胆なエロチシズムを理由に教皇庁から非難され、BBCから放送禁止を宣告された。しかしそのおかげで、英国のヒットチャートのトップに躍り出ることになった。

エルメスとレペット この黄金カップルの情事は、13年間に及んだ。2人はミュージシャンとしてトップに輝いただけでなく、ファッション・
アイコンとしても、最高の存在だった。
 バーキンは愛らしいだけでなく、モデルとしても完璧な体型だったため、バレンシアガ、イヴ・サンローラン、ジバンシィといった数々のデザイナーが、自分のデザインした服を着せたがった。
 この頃のバーキンは、どこへ行くにも大きな枝編みのバスケットと一緒だった。彼女はまだ、ジャン・ルイ・デュマ=エルメスと出会っていなかったからだ。
 1981年、エルメスの社長兼アーティスティック・ディレクターであったデュマは、ロンドン行きのフライトでバーキンと巡り合い、大きな旅行用バッグをデザインすると申し出た。このバッグこそ、後にエルメスで最も人気の高いマロキネリ(革製品)となる“バーキン”である。
 一方、ゲンズブールは、常に完璧に仕立てられた服(主にピンストライプ柄)を身にまとっていた。その装いに個性を加えたのが、ぞんざいで、無造作な彼の態度と、愛用していたレペットの白いジャズシューズだった。このシューズを素足に直接履くのが、彼のスタイルだった。
 クラシックで細い外観が特徴的な、この編み上げのダンスシューズは、フランス人バレエダンサーのジジ・ジャンメールにちなんで“ジジ”と名付けられたものだった。実はゲンズブールの足はとても鋭敏だったらしく、多くの靴は耐えがたいほどの痛みを引き起こしたため、履ける靴の種類は限られていた。
 そんな彼のためにバーキンが初めて買ったジジは、バターのように柔らかいカーフスキンで作られており、まるで手袋のようにフィットした。それからというもの、ジジは彼にとって手放せない靴になった。1991年にこの世を去るまで、彼は毎年30足のジジを履きつぶしたと言われている。

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パーティで踊るゲンズブールとバーキン(1970年頃)。

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履いている靴はレペットのジジだ(1971年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 02
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