July 2015

LA BELLE ET LABÊTE

セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの物語
フランス一純粋で、淫靡だった2人

by joycelyn shu

2人の毎日とは? 大みそかはパリのマキシムで過ごすのが毎年の恒例だった。ゲンズブールは、マキシムに来ている他の客が上の世代の人々ばかりであることを面白がり、バーキンは、モノグラムをあしらった陶器類をこっそり失敬することが好きだった。

 2人の子供たちが小さい頃、ゲンズブールとバーキンは、夕方になると子供たちに夕食をとらせ、寝かしつけた後、着替えを済ませて自分たちの夕食を食べに出かけた。そして、一晩中クラブを渡り歩いた後、早朝に慌てて帰宅するなり子供たちを学校へ送り、彼らを迎えに行くまで寝て過ごすのが常だった。毎日がその繰り返しだった。

 ゲンズブールは、スキャンダラスな行為によって世間を呆れさせるのが大好きだった。娘が13歳のときには、『レモン・インセスト』という際どいデュエット曲を録音した。この作品には、「決して一線を越えない私たち」という歌詞や、彼と娘がベッドに横たわる映像が含まれていた。作品の構想は衝撃的だが、バーキンやシャルロット・ゲンズブール、家族ぐるみの友人たちによると、彼の本当の制作意図は、父から娘への純粋な愛の歌を録音することだったという。

 ゲンズブールはこの他にも、あっと驚くような言動を披露し続けた。例えば『ラ・マルセイエーズ』のレゲエバージョンを制作したり、テレビの生放送中に、税金を払った後に残った金額として、500フラン札を燃やしたりした。また、23歳のホイットニー・ヒューストンに対し、生放送中に「ヤリたい」と発言したこともあった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 02
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