COSTUME DRAMA

謎の大富豪が主催した仮面舞踏会

November 2016

text nick foulkes

アーガー・ハーンとゲストたち

戦闘機と同額の舞踏会 1948年、ベイステギはヴェネチアのラビア宮殿を買い取った。壮大だが、フレスコ画は剥がれ落ち、壁紙は破れ、荒れ果てた舞踏場には、何年もの時を経た世界があった。彼は50万ドルで宮殿を買い取り、修繕に75万ドルをかけたという。

 そして1951年の春、映画スターから貴族に至るあらゆる人々に、9月3日にラビア宮殿で行われる舞踏会への招待状が送られた。その数は全部で2000人にのぼる。ライフ誌が名付けたところの「世界で最も格調高く、裕福な住民たち」が招待された。

 しかしこれが大富豪の単なる舞踏会だと考えていた人たちにとっては大きな間違いだった。18世紀のコスチュームとマスクの着用が義務づけられていたのだ。この仮面舞踏会に出席したジャクリーン・ド・リブは、「全くの別世界でした。幸せな舞踏会でしたが、楽しむためのものではなかった」と話している。

 ダイアナ・クーパーがパートナーとしてマーシャル将軍を連れて行ってもよいか尋ねると、ベイステギは真剣な様子で、「彼は良家の出身だろうか?」と聞いたという。彼にとってゲストは「作品」を飾り立てる生きた家具でしかなかったのだ。

 ゲストたちは衣装を身にまとい、格好よく振る舞わなければならなかった。まるで活人画を映画にするようなもので、入念な準備が必要だった。戦後の復興計画中の退屈な時代において、そのコントラストは、これ以上ないほどはっきりしたものだった。

 ベイステギが舞踏会に費やした5億フランについて、最もうまく表現したのはコクトーだろう。「この舞踏会は戦闘機と同じくらいの金がかかっている。出席しないで良いのであれば、戦争より舞踏会の方が良いが」。

 ベイステギは、お金で解決できない問題はないことを発見しいた。舞踏会の夜にかかったお金は、ヴェネチアの共産主義市長さえも味方に引き込んでいたのだ。

ファットと友人のデザイナー、ヴァレンティナ・シュリー

THE RAKE JAPAN EDITION issue 08
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