WHEN EDEN ROCKED

楽園の終わり

October 2019

text nick foulkes

アリ・カーンが催したランチパーティーでのヘイワースとゲスト(1948年)。

「金がかかるからこそ排他性が保たれ、VIPラウンジで思いがけなく友人に会うという楽しみがあった。ジャンボジェットを利用したマスツーリズムはまだなく、エネルギー危機も起きていなかった」

 1969年の夏を過ぎると、ジャンボジェットは比喩的にも、文字通りの意味でも大きな影を空の旅に落とすことになる。

 それまで航空機は、面白い顔ぶれや知り合いと必ず会える空中のクラブルームとして機能していた。例えば映画プロデューサー、ディーノ・デ・ラウレンティスは1966年のフライトでプリンセス・イーラ・フォン・フュルステンベルクの隣に乗り合わせ、スターを見つけたと確信し、数週間のうちに彼女と契約を交わした。

 ジェット機がこうした人々を生み出したわけではない。すでに存在していた上流階級の暮らしに新たな彩りを添えただけだ。それにいろいろな意味で、(少なくともジェットセッター時代の初めは)上流階級の顔ぶれが20世紀初頭からあまり変わっておらず、アメリカの女性相続人や王族、貴族、富裕層は相変わらずモンテカルロのカジノに集っていた。

 その頃、リゾートに行くのは気軽な旅行というよりも、季節ごとの大移動という趣を呈していた。中世の王族に引けを取らないほどのお供を連れ、貸し切りの客車には美術品から宝石、愛犬、鳥かごまでありとあらゆるものが詰め込まれた。

 当時の旅は宿泊先の宮殿ホテルと同じようにスケールが大きく、備えも万全だった。例えば、モンテカルロの常連であるモーリス・ド・ロチルド男爵は、旅するときには万全を期して献血ドナーを必ず伴っていた。また、ヘルシーな食事にこだわっていたため、オテル・ド・パリで出される料理に満足できず、キッチンを備えた別のスイートルームを押さえて、そこで食事をとったという。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 30
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