October 2019

WHEN EDEN ROCKED

楽園の終わり

text nick foulkes

カンヌのカールトンホテルの屋外でワインを飲む行楽客(1958年)。

真のセレブだけが集ったリヴィエラ 南仏が北欧人にとっての昔ながらの避寒地から、カジュアルなエレガンスが映えるサマーリゾート、スポーツや日光浴をのんびり楽しむ娯楽スポットへと変貌したのは大戦間のことだ。

 コール・ポーターは、オフシーズンだった夏のうちにカップ・ダンティーブにあるシャトー・ド・ラ・ギャループを手に入れ、リヴィエラのスタイルを確立した。

 彼が招いたゲストの中には、F・スコット・フィッツジェラルドの小説『夜はやさし』のモデルとなったジェラルド&セーラ・マーフィー夫妻もいた。常にアーティストやソーシャライトに囲まれたマーフィー夫妻がいたからこそ、リヴィエラは旧来のイメージから脱却できたのだろう。

 ココ・シャネルはそんなリヴィエラに、女性のパンツスタイルといった大胆なコンセプトや、ゲストがセルフサービスで楽しむビュッフェランチ(当時は召し使いがいないランチなど誰も考えつかなかった)を紹介。カップ・マルタンを望む高台にラ・パウザと呼ばれるヴィラを持ち、インテリアをニュートラルカラーでコーディネイトしていた。

 カップ・フェラの海岸沿いには、ペールカラーのパイオニアと呼ばれるインテリアコーディネイターのシリー・モームが有名作家の夫サマセット・モームとヴィラ・モーレスクで暮らし、裸で日光浴を楽しんでいた。一方、魔性の女として名を馳せたファッションリーダーのデイジー・フェローズは、カップ・マルタンのヴィラでゴージャスなスタイルを披露し、“シスター・アン”という船名のヨットを係留していた。

 もっとも、大戦間のリヴィエラに最大の恩恵をもたらしたのは世界一ファッショナブルな男性、ウィンザー公だ。英国王として夏はバルモラル城で過ごすはずだったが、退位後の公と夫人が30年代後半の夏を過ごしたのはカップ・ダンティーブのシャトー・ド・ラ・クロエだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 30
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