Wednesday, October 9th, 2019

The siren’s call:how Brigitte Bardot redefined female sexuality
セイレーンの呼び声―ブリジット・バルドー

全身が“ふしだら”な女

 1958年、フランスの週刊誌『パリ・マッチ』は、24歳になったブリジット・バルドーを「頭のてっぺんからつま先までふしだら」と評した。しかし彼女は、戦後社会の“ふしだら”の象徴となるべく育てられたわけではなかった。
 1934年、バルドーは戦間期のフランスで生まれた。父親は実業家で、アッパーミドル階級らしいお堅い家庭教育を受けた。一家のアパートメントは7つのベッドルームを備えており、エッフェル塔に近い高級住宅街、パリ16区にあった。
 ところが19歳になるまでにバルドーは、すでに『エル』誌にて特集が組まれ、自殺を図り、4人の夫のうちのひとり目と出会っていた。その男性こそ、彼女を発掘した映画制作者、マルク・アレグレのアシスタントをしていたロジェ・ヴァディムだ。
 6歳年上のヴァディムと恋仲になったのは、彼女が16歳のときだ。ヴァディムはその後、バルドーの出世作である『素直な悪女』の監督を務めた。映画はバルドーを世界的女優へと押し上げたが、同時に夫婦関係を破局に導いた。撮影中、バルドーが共演者のジャン=ルイ・トランティニャンと恋に落ちたからだ。ラブシーンの撮影時、監督の椅子に座る哀れな夫が「カット!」と叫んでも、バルドーとトランティニャンはいつまでも唇を合わせていたという。バルドー夫婦は、結婚から4年後に離婚した。
 その数年後、彼女は『バベット戦争に行く』で共演したすこぶるつきの美男子、ジャック・シャリエと結婚した。この結婚で、バルドーは唯一のわが子を産んだ。出産に対しては少なからずためらいがあったという。回想録では、25歳で妊娠を知ったときの気持ちをこう記している。
「鏡に映る、平らでほっそりした自分のお腹を見たときは、大切な友人の棺の蓋を閉めようとしているような気分だった」

世界的プレイボーイとの出会い

 3人目の夫、ギュンター・ザックスは、彼女の享楽的な生き方を後押しした。ザックスがいかに多才であったかは、「プレイボーイ、実業家、画廊経営者、美術コレクター、映画制作者、写真家、占星術師、企業の重役、スポーツマン」という彼の肩書きを見れば一目瞭然だ。ふたりのロマンスは1966年の5月に始まった。
「私はすでに、多くの男性との出会いや恋、激しい情事を経験していた」とバルドー。
「けれどあの夜、私はすっかり心を奪われた。まるでギュンターに抱えられて、おとぎの世界へ向かっているような、ふわふわした気持ちだった」
 世界的プレイボーイとして鳴らしたこのドイツ人億万長者は、ヘリコプターをチャーターすると、コート・ダジュールにあるバルドーの屋敷に何百本もの赤いバラを降らせた。ふたりの豪華な結婚式は、1966年にラスベガスで行われた。夫婦ゆかりの地であるサントロペとサンモリッツは、ジェットセッター御用達のエリアとして知られることとなる。
 しかし、やはりというべきか、3年間の結婚生活で一夫一婦制が重んじられることはなかった。1968年の夏、バルドーはプレイボーイ俳優のジジ・リッツィとの情事に溺れた。逢い引きの場所となったのは、サントロペに停泊しているリーヴァ社製のヨットだった。
 浮気はこれだけではなかった。バルドーは後に「夫婦として一緒に過ごした期間は、合計しても3カ月以下だったと思う」と振り返っている。
「確かに私はギュンターを裏切ったけれど、彼は私よりはるかに浮気者だった」
結局ふたりは1969年10月に穏便に離婚し、別れた後も友人であり続けた。そのため、ギュンター・ザックスが2011年にスイスのグシュタードにある自宅で自殺したことを知ったとき、バルドーは大いに悲しんだという。

『素直な悪女』(1956年)の有名なダンスシーン。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 16
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