The Rakish ART ROOM Vol.12

貴殿も世界の名画オーナーに!
ジャスパー・ジョーンズ

January 2021

1950年代、アメリカのアート・シーンに躍り出たジャスパー・ジョーンズ。
彼が放った芸術の矢は、人々の心の標的を打ち抜いた。
text setsuko kitani
cooperation mizoe art gallery

ジョーンズの代表的モチーフ「標的」を主題とした作品。1955年に作られたオリジナルでは標的の上の4つの仕切りそれぞれに顔の石膏像が収められていたが、本作では反転した「FACE」の文字が書かれている。《4つの顔のある標的》1979年、インタリオ(凹版技法)、76×56.5cm。限定88枚のうちの1枚。

 アメリカの戦後美術を代表する芸術家、ジャスパー・ジョーンズ(1930-)。2014年11月に行われたサザビーズでのオークションでは、彼の代名詞ともいうべき作品《Flag》(1983年作、次頁)が、本人作としては過去最高額の3600万ドル(当時のレートで約41億6000円)で落札された。1500 ~ 2000万ドルの予想落札価格を大幅に上回るこの金額は、彼のアーティストとしての人気はもちろん、美術史的な重要性がますます認められたことの証拠だろう。

 この《Flag》のように、誰もが知る星条旗をあえて絵画として表現した「旗」は、ジョーンズが繰り返し描いた主題のひとつである。そしてこれと同じくらい重要な彼独自のモチーフが、右ページで紹介している《4つの顔のある標的》に描かれた「標的」だった。

 1930年、アメリカのジョージア州オーガスタに生まれたジョーンズは、サウスカロライナ大学を経て、1949年にニューヨークに移り、パーソンズスクールオブデザインで短期間芸術を学んだ。しかし翌年、徴兵により陸軍に入隊し、2年間を軍隊で過ごした。最後の半年は、なんと日本の仙台キャンプに滞在していたという。そして除隊後、本格的に美術家になる決心をした彼は、25歳の頃、彼と同じくネオ・ダダの代表的作家、ロバート・ラウシェンバーグと出会い、同性愛のパートナーとして互いに切磋琢磨しながら、アーティストとして成長していったのだった。

 ちょうどふたりが出会い、ともに仕事をするようになったこの1955年前後、ジョーンズは、2014年に高値がついた「旗」や、今回紹介する“名画”「標的」のシリーズを次々と制作。28歳のときには伝説的美術商レオ・カステリに見いだされ、20代にして早くもアメリカのアート・シーンで注目を集めた。

ジャスパー・ジョーンズ / Jasper Johns (1930-)20世紀アメリカの戦後美術を代表する芸術家で、パートナーだったロバート・ラウシェンバーグと同じく、ネオ・ダダやポップ・アートの先駆者的存在である。1954年頃から国旗や標的、数字などをモチーフにした作品を発表するようになり、ありきたりのものが芸術作品となることを証明。アメリカおよび戦後の美術界に多大な刺激を与え、世界の戦後美術史の大きな流れをつくった。©Aflo

本記事は2021年1月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 38

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