THE KING’S REACH
チャールズ皇太子の素顔(Issue07/2015年11月24日発売号掲載記事)
May 2023
今は亡きダイアナ元妃とヘブリディーズ諸島を訪問(1985年)。
ダイアナに恋していないのは…… サンドリンガム宮殿から目の届くところで育った、スキャンダルのない貴族で、有名なスペンサー家の子孫であり、皇太后のお眼鏡にかなうダイアナは、書類上では完璧な女性だった。実際、彼女の両祖母と4人の大叔母は皇太后の女官を務めている。レディ・ダイアナ・スペンサーは王室になじみのある女性だったのだ。
クラレンスハウス内部の情報筋によると、この結婚には賛否両論があったらしいが、レディ・ダイアナ・スペンサーが、チャールズ皇太子に恋をしたということは確かだ。だが、その後の経緯からわかるように、皇太子は彼女を愛していなかった。今でも覚えているが、ある廷臣が当時「その婚姻契約には愛がないと誰も彼女に教えなかった」と話していた。
チャールズ皇太子は依然としてカミラの虜だったが、自分が結婚しなければならないこともわかっていた。そうなれば、カミラをあきらめるしかない。そこで彼がカミラに「GF」のイニシャル(彼女のニックネーム“Girl Friday”の略)を入れたブレスレットを贈った話はよく知られている。
残念なことに、レディ・ダイアナ・スペンサーはこのプレゼントを見つけて、ひどく動揺したという。それから5年間、皇太子はカミラにほとんど会わなかった。その間、1981年7月に結婚した若い花嫁は1982年にウィリアム王子、1984年にハリー王子と2人の健康な息子を産み、彼を満足させた。
ダイアナはマスコミにもてはやされ、チャールズ皇太子は公務でも影が薄くなった。やがて、あるコメンテーターが「ロンドンの男性でダイアナに恋していないのはチャールズ皇太子だけではないか」と言うようになった。
そして、プリンセス・オブ・ウェールズは夫とカミラの関係が続いていると確信していた。この結婚が取り返しのつかないほど破綻した1986年には、チャールズ皇太子が自らの状況を「まるで檻の中を行ったり来たりしているようだ。自由になりたい」と語り、カミラとよりを戻した。二度の別離を経て、恋が復活したのだ。
チャールズとダイアナの間の「愛」について書いた記事は多いが、結局のところ、本当の愛はチャールズとカミラの間にあったと言っていい。そのことにダイアナが気づかないわけもなく、1995年には『パノラマ』というテレビ番組で「この結婚には3人の人間がいた」と語っている。
夫婦の関係はますます悪化し、両者が互いの言い分を別々に主張するという、残念な状況に至った。ダイアナはアンドリュー・モートンと組んで1992年に暴露本を出し、皇太子はテレビでディンブルビーに対してカミラとの不倫を告白し、ディンブルビーに伝記を書かせた。『パノラマ』のインタビューでは、彼女は「皇太子が良い国王にはならないだろう」とまで示唆した。そこでついにエリザベス女王が介入し、別居生活を終わらせるよう求めた。2人は1996年に離婚し、ダイアナ元妃は1997年8月にパリで起きた自動車事故で亡くなった。