May 2023

THE KING’S REACH

チャールズ皇太子の素顔(Issue07/2015年11月24日発売号掲載記事)

text hugo vickers (royal biographer)

クリケットを楽しむ皇太子(1991年)。

カミラという存在 1994年、ジョナサン・ディンブルビーは皇太子公認の伝記を出版した。ディンブルビーは、出版当時の皇太子の思いをありのままに伝えた。皇太子は自らの半生を明らかにすることで、過去の重荷を降ろし、先に進みたいと考えたのだ。

 だから、ディンブルビーがカミラ・パーカー・ボウルズ(現コーンウォール公爵夫人)について書いたことは、真面目に受け止めなければならない。同書には2人の関係をまとめたこんな一文がある。

「カミラ・パーカー・ボウルズには、皇太子が常に求め、他の誰からも得られなかった温かさ、理解、安定感があった」

 パーカー・ボウルズは昔から、プリンス・オブ・ウェールズの人生に欠かせない存在だといわれていた。2人が出会ったのは、ともに20代前半の頃である。旧姓カミラ・シャンドは、社交的な女性で、チャールズ皇太子より世慣れており、彼のように内気ではなく、アウトドアを好んだ。

 皇太子はタバコ嫌いを公言していたが、カミラの喫煙には目をつぶっていた。彼女は気取らない性格で、自らの階級に誇りを持ち、(サセックス出身ではあったが)グロスターシャー・ハンティングチームの代表メンバーだった。

 2人を引き合わせたのは、皇太子のケンブリッジ時代の学友ルシア・サンタ・クルスで、彼女はエドワード7世と、カミラの曽祖母のアリス・ケッペルが、親しい関係にあったことを指摘した。

 ディンブルビーによれば、カミラは「可愛らしく快活で、目元と口元に笑みを浮かべていた」らしい。同書には「彼女はおしゃれではなかった」と書かれているが、身なりにはそれほどこだわりがなかったようだ。2人は素朴なユーモアや「グーンズ」(当時人気だったコメディグループ)、そして「変なアクセントやふざけたルックス」を楽しみ、チャールズ皇太子は「あっという間に心を奪われた」という。異論はあるだろうが、心を奪われた皇太子は長年にわたって思いをあたため、外野の出来事に邪魔されながらも、33年後の2005年にようやく彼女と結婚した。

 1972年時点で、プリンス・オブ・ウェールズの世間的なイメージはすでに実像とはかけ離れていた。彼は世界で最も望ましい独身男性、世界を股にかける行動的な王族だと思われていたが、実際は違っていた。彼はさまざまな不安を抱えて思い悩んでいた。結婚したいと思う相手が彼との結婚を望み、重責を負ってくれるとは思えない。メディアの取材攻勢はいうまでもないが、彼の妻になる人はいつの日か彼の傍らで王妃となるのだから。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 07
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