THE KEEPER OF GREATNESS

ベトナム最後の皇帝
バオ・ダイ

July 2021

text stuart husband

犬と戯れるバオ・ダイ、1948 年。

 しかしホー・チ・ミン率いる共産党は違う考えを持っており、日本軍が降伏すれば八月革命を起こしてベトナム民主共和国の独立を宣言しようとしていたのだ。バオ・ダイはホーの要請に応え、*特別顧問のポストと引き換えに退位することに同意。王位を退き、「占領された国の皇帝であるより、独立した国の一市民でありたい」と宣言した。

 こうしてベトナム最後の皇帝バオ・ダイから平民となったヴィン・トゥイは、なじみのクラブ、カジノ、リヴィエラの歓楽街で余生を謳歌するはずだった。しかし、ホー配下のゲリラがフランス植民地軍との戦闘で身動きが取れなくなると、ホーの対抗馬としてフランスに担ぎ出され、1949年に帰国。国家元首として皇帝の称号を取り戻し、翌年に米英両国から政権として認められたが、国民の支持を得ることはなかった。それはおそらく、彼が以前から重要な決断を側近たちに任せ、自分は愛人たちを連れてパレスIIIに引き籠もっていたからだろう。

 彼が当時フランス側から支給されていた年間400万ドル以上の手当ては、豪華な宝飾品の数々に消えていった。そして、あのロレックスを手に入れるきっかけとなった1954年のジュネーブ会議でベトナムが分断されると、バオ・ダイは南ベトナムで権力を掌握しようとしたが、アメリカの支援を受けたゴ・ディン・ジェム首相に阻まれ、1955年の国民投票によって追放される。ついにベトナムの王政は廃止されたのである。

 王室の資産のほとんどを浪費した彼はそれ以降、パリの質素なアパルトマンで40年余りの亡命生活を過ごしたが、件のロレックスは決して手放さなかったという。バオ・ダイが違うカードを切っていたら、ベトナムは共産主義体制にならず、アメリカとの戦争も回避できたと考える者もいたが、彼自身は自らの失敗や限界について何の幻想も抱いていないようだった。ある歴史家によれば、バオ・ダイの取り巻きのなかには見事なブロンドの高級売春婦がいたという。あるとき、彼女が侮辱されるのを耳にしたベトナム最後の皇帝はこう言ったそうだ。

「彼女は仕事に励んでいるだけ。本当に身を売っているのはこの私だよ」

*特別顧問のポスト=単なる権限分割の取引で、共産党側には名誉職の意図はなかった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 24
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