STYLE HEROES

フランスきっての色男、セルジュ・ゲンズブール

August 2021

自らを“醜男”と認識しつつ、数多の美女と浮名を流したプレイボーイ、セルジュ・ゲンズブール。1960年代以降、スタイルアイコンとなった彼は、自由気ままでクールな雰囲気を、ファッションでも体現していた。
text natasha drax

Serge Gainsbourg / セルジュ・ゲンズブール1928年パリ生まれ。フランス・ギャルが歌った『夢見るシャンソン人形』(1965年)を皮切りに、数々のヒット曲を制作。以降、作詞・作曲家、歌手、映画監督、俳優などマルチに活躍。過激な性表現を含む作品や、問題のある言動で話題となった。ジュリエット・グレコ、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキンらとの華麗なる恋愛遍歴や、クールな無造作風のファッションでも知られる。1991年没。

映画『スローガン』(1968年)で女優ジェーン・バーキンと共演後、親密な関係に。1980年に別れるまで伝説のカップルとして一世を風靡した。法的には結婚しなかったが、1971年、ふたりの間にシャルロット・ゲンズブールが誕生。

 世間の物議を醸すようなセンセーショナルな言動で人々の記憶に残る人物といえば、フランスきっての色男、セルジュ・ゲンズブールが挙げられるだろう。酒とタバコ、音楽と自由をこよなく愛した彼は、ミュージシャン、映画監督、俳優、画家などマルチな才能を遺憾なく発揮して活躍した。

 しかしその一方で、酔って出演した生放送のテレビ番組では税務署への文句を言いながら500フラン札に火をつけて燃やしてみたり、あるいは別の生放送では当時23歳のホイットニー・ヒューストンに「ヤリたい」とド直球のセクハラ発言をしたり、交際していたブリジット・バルドーに露骨に性的な歌詞の楽曲を歌わせたりと、あらゆる分野で衝撃を与える、超がつく問題児だったのだ。

 ゲンズブールは、同世代であるポール・ニューマンやアラン・ドロンといったクラシックで美しい顔立ちは持っていなかったが、ハスキーで酔い潰れたような喋り方や、今となってはさらに物議を醸すようなユーモアを持ち、寝ぼけ眼に無精ひげを生やした風貌で、妙な魅力を放っていた。実際、しばしば許されがたい行為をしていたにもかかわらず、多くの美女と浮名を流しており、60年代以降はセックスシンボルとしての地位を確立したのである。

無頓着さを感じさせる控えめな装い 才能溢れるソングライターとして、ゲンズブールは彼らしい悪気のない口ぶりでこう語ったことがある。

ドレスウォッチでエレガントな雰囲気(1968年頃)。

本記事は2021年5月25日発売号にて掲載されたものです。
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THE RAKE JAPAN EDITION issue 40

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