Monday, October 23rd, 2017

PRINCE AMONG MEN
20世紀を代表するプリンス

貴族に生まれ、5カ国語を操り、ハリウッドの帝王とも本物の王族とも
ファーストネームで呼び合う間柄だったら……そんな想像をしてほしい。
マルベーリャ・クラブの創業者、プリンス・アルフォンソは、まさにそういう男だった。
text nick foulkes

すべてを持つ男

 ジェームズ・ボンドが12世紀の神聖ローマ帝国まで系譜をたどれる貴族の家系に生まれ、5カ国語を流暢に話し、ヨーロッパの城から城へと飛び回り、ハリウッドの帝王とも本物の王族ともファーストネームで呼び合う親しい間柄だったら……と想像してほしい。プリンス・アルフォンソ・フォン・ホーエンローエ=ランゲンブルクはそんな男だった。
 アルフォンソはマドリード郊外にある城で生まれ、スペインの王族を世話した乳母に育てられたという。彼は名付け親のアルフォンソ13世から名前をもらった。もっとも、ホーエンローエ家はいくつも城を所有していたから、一年の半分は旧チェコスロバキアにある一族の居城で過ごしていた。
「年に2回は旅をしなければならなかった。犬や鳥がいたし、トラックは72台もあったから、子供ながらにとても面白かったよ」と彼は回想している。
 しかし、こうした生活に暗雲が立ち込めたのは1936年7月16日のことだった。「アルバ公が母に電話してきて、『大至急帰れ』と言ったんだ」
 スペインは内戦に突入し、一家は2台のロールス・ロイスと子供を満載したトラック1台を先頭に“高級車の隊列”を組んでビアリッツに向かった。内戦が終わった頃には、ホーエンローエ家代々の土地のほとんどが失われていた。
 その後、アルフォンソはスペインでスキーのインストラクターとして働き、ひとりのCIAエージェントと出会った(あるいは、FBIの人間だったかもしれない)。アメリカという響きが気に入った彼はニューヨークへ移住した。
「当時の私にとって、あらゆる店がひしめく五番街を歩くのは天国に行くようなものだった」彼は羽を伸ばし始めた。
「私は19歳で、父はドルの価値がまったくわかっていなかったから、メキシコの不動産をいくつか売って1万ドルを送ってくれた。当時としては相当な金額だ。もちろん、最高のホテル、ザ・リッツ・カールトンに行ったよ」
 それから1週間ほどすると、彼はプレイボーイの芸能記者で“ジェットセッター”という言葉の生みの親であるギギ・カッシーニと知己になり、エル・モロッコやストークといった有名なナイトクラブに毎晩入り浸るようになった。
 次に向かったハリウッドでは、ケーリー・グラントがこのチャーミングな若いプリンスを可愛がり、グロリア・スワンソンのパーティーに連れていってくれた。
「招待してくれたケーリー・グラントに『君はこのパーティーに来なきゃ。知った顔ばかりだから』と言われて、『来たばかりで誰も知らないのに』と返したよ」
 それは違っていた。グラントの言った通り、実際に会ったことはなくても、映画で見たことのある顔ばかりだったのだ。
 その後、スペインに戻った彼は、実家のロールス・ロイス(木炭車に改造)を南へ走らせ、太陽がさんさんと降り注ぐのどかな田舎町にたどり着く。そこで農園をひとつ買った。ホーエンローエ家が建てた広いカントリーハウスはサンタ・マルガリータと呼ばれ、今も残っている。
 実に美しい場所なので、家族が困ってしまうほど客人が押しかけてきた。あまりにもお客が増えたので、アルフォンソは米国で目にしたようなモーテルを建てることにした。これが、マルベーリャ・クラブの始まりである。

マルベーリャ・クラブの桟橋でガールフレンドと(1967年)

THE RAKE JAPAN EDITION issue 18
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