LOUIS,KING OF THE SWINGERS

英雄の裏の顔、マウントバッテン卿

July 2019

text tom cheshire

ジャワハルラール・ネルーから歓迎を受けるマウントバッテン夫妻。1956年、インドにて。

 1932年、日曜紙『ピープル』のゴシップ欄に、マウントバッテン夫人が「有色人種の男性と不適切な関係」にあるという記事が掲載されたのだ。夫妻は同紙を告訴し、かろうじて勝訴する。その男性は有名なジゴロで、キャバレー・アーティストの“ハッチ”ことレスリー・ハッチソンだった。夫人は彼に宝石をちりばめたC社のペニスケースを贈ったこともあったという。

 第二次世界大戦が勃発すると、マウントバッテンは大佐として、駆逐艦ケリーの指揮を執り、深い霧のなかで英国の護衛艦を導いたことでたちまち頭角を現した。駆逐艦ケリーは、1942年公開の戦争映画『軍旗の下に』のモデルともなった。ノエル・カワード主演のこの映画は、マウントバッテンにとって、素晴らしいプロパガンダとなった。

 名を上げたいという彼の願望はとどまることを知らず、マウントバッテン・ピンクという新しい軍艦用の迷彩色まで考案した。終戦までに、東南アジア連合軍最高司令官となり、シンガポールで日本軍の降伏を受理した。

コードネームは“誘惑作戦” 平和が訪れると、彼は最後のインド総督となり、植民地だったインドの独立とパキスタンの分離という難しい任務に就いた。これには、エドウィナの内助の功があったという。彼女はインドの指導者ネルーを誘惑したといわれている。おそらく夫の手引きがあったのだろう。マウントバッテンは、彼女の任務を“誘惑作戦”と呼んだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 08
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