July 2019

LOUIS,KING OF THE SWINGERS

英雄の裏の顔、マウントバッテン卿

text tom cheshire

1956年、スエズ動乱に関する会議に出席するため、ダウニング街10番地の首相官邸に到着したマウントバッテンに敬礼する警官。

 この1947年は、マウントバッテンにとって、別の意味で成功の年でもあった。甥のフィリップが現在のエリザベス女王と結婚したのだ。これは、フィリップの長く苦しいキャンペーンが実を結んだ結果である。当時18歳だった彼は、叔父の強い勧めで、弱冠13歳の未来の女王に、手紙を書き続けていたのだ。フィリップは、叔父からの提案でマウントバッテン姓を名乗っていたため、その名は王室の中枢に位置づけられた。

 フィリップにとって、ディッキーは父親のような近しい存在だったが、この関係は息子のチャールズにも受け継がれた。チャールズは、実の祖父を亡くしていたことから、彼のことを祖父のように慕っていたという。

 とりわけ喜ばしかったのは、1954年に第一海軍卿に昇格したことだろう。かつて、彼の父親が辞任に追いこまれたポストだったからだ。そこからさらなる出世を果たし、1959年から1965年までは国防参謀総長を務めた。

 巷で言われていることが本当だとしたら、彼はさらに上を目指していたのかもしれない。複数の消息筋によると、1968年に行われた新聞王セシル・キングとの会談で、マウントバッテンがクーデターを起こし、国家のトップとなるという議論が交わされたという。野心家のマウントバッテンでも、それはさすがに無理な話だろう。どれだけドイツの血が濃かったとしても、英国紳士が反逆を企てることなどないのだから。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 08
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