January 2021

IS FRANK SINATRA THE MOST MALIGNED CELEBRITY IN HISTORY?

フランク・シナトラは
歴史上最も有害なセレブだったのか?

text nick scott

脚立の上に立つシナトラ。サインを求めるファンたちに囲まれて。ロサンゼルスにて(1943年)。

1. 彼は好ましくない政治的意見を持っていた 1945年、シナトラは『The House I Live In』という10分間の人種差別反対映画に出演した。この映画の中で彼は、ユダヤ人の同級生をいじめている少年たちに向けて、アメリカの寛容な価値観への賛歌であるタイトル曲を歌った。彼はずっと人種差別に反対し続けていた。ニュージャージー出身の白人のエンターテイナーだったが、イタリア移民が、嘲笑と軽蔑の対象となっていた時代に育った彼にとっては、差別と偏見は社会の病というべきものだった。

「人種差別は卑しい考え方だ。最も低劣だ。私たちは皆平等に作られている。基本的に間違っている」と語ったことがある。

 1954年に片目を失ったサミー・デイヴィスJr.(クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーと並ぶ、シナトラの最も有名な共演者)を受け入れてくれる病院を探すのに40分もかかったことを知ったとき、彼は怒りに震え、身体的にも精神的にもデイヴィスJr.の看護を手伝うことにしたのだ。

 イタリア系に対するネガティブなイメージとの戦いもあり、アメリカのメディアは皮肉を込めて、シナトラの政治的ポジションを左派へと誘導し、シナトラは“赤狩り”の対象であると評した。シナトラは朝鮮戦争で戦っている米軍を慰問するために、韓国に行くと申し出たが、FBIの彼に関する膨大なファイルが理由となり却下されてしまった。しかし、そのファイルには、彼が表明した無害な意見以上のものは、何も含まれていなかった。彼は国防総省ペンタゴンに行き、彼の言葉を借りれば「ケツに突っ込め」と役人たちに言った。

ピアノの前で彼の最初の妻、ナンシー・バルバトと彼らの子どもたち。ナンシーとフランクJr.(1948年)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 37
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