HOW A PEASANT VILLAGE ROSE UP

セレブのための田舎町グシュタード

February 2024

issue10

カーリングを始める前の紳士たち。

 終戦後の冬にグシュタードを訪れた有名人のひとりに、イギリス陸軍元帥だったバーナード・モンゴメリー卿がいる。彼がシャレー(スイスの木造の山小屋)風の家に滞在し、戦時中のベレー帽を被ってスキーリフトに乗る姿が目撃されている。彼の主催するパーティには決して騒々しさはなく、軍隊式に時間通り行われること―22時に「紳士諸君、夜は眠るためにあるのだ」と叫ぶモンゴメリー卿の言葉とともに終了すること―で有名であった。

世界の富豪が訪れる町 1950年代のグシュタードには、当時の典型的な大金持ちだったギリシャの海運王たちが集まってきた。彼らの多くはローザンヌやジュネーブに住んでいたこともあり、戦後もグシュタードは人気を集めた。グーランドリス家がグシュタード・パレスを借り切ることもあれば、まだ10代だったタキ・テオドラコプロスが、テニスのトーナメントに出場するためにグシュタード・パレスを訪れたこともあった。この山村を気に入った彼は今でもよく訪れている。

 タキは、1957年にオープンした「イーグルスキークラブ」に華を添えた人物のひとりである。当時、グシュタードとサンモリッツは覇権争いを極めていた。グシュタードよりも標高の高いサンモリッツは、1928年と1948年の2回、冬季五輪の開催地となっただけでなく、スケルトン用トラック「クリスタラン」や、スキークラブ「コルヴィリア」を有している。これに対抗するグシュタードの切り札が、イーグルスキークラブである。

 そのオープンは大きな話題となった。ロンドンのイブニングスタンダード紙は「アルプスの小さな町・グシュタードは、スイスの観光業界に大きな勝負を仕かける。足元の雪さえも輸入した特別な雪だと思ってしまうほどに超高級な町」と伝えている。またザ・スフィア紙は、辛辣な論調で「その目的は、富裕層向けのパーティを呼び込むこと」と報じている。

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1966年にグシュタードを訪れたジャクリーン・ケネディ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 33
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