COMING TO AMERICA
ニューヨークの華麗なる亡命者たち
September 2019
ネコ風のマスクを着けたフランク・シナトラとミア・ファロー。
だがこれは、作家としての凋落の始まりでもあった。これ以降は一度も長編をものにできず、上流社会の裏側を描いた小説『叶えられた祈り』は未完に終わった。ジェットセッター時代のプルーストになるという壮大な野望は、ついに叶わなかったのだ。
“ディスコ”が大流行 新世代のジェットセッターは、生バンドではなく、録音された音楽に合わせてダンスに興じるという、ヨーロッパの最新の流行も持ち込んだ。ディスコである。
「プライベートジェットが着陸するやいなや、彼らは“ランテルディ”や“ル・クラブ”といったディスコに直行した」とウォーホルは語っている。
この頃から「パリのダンスクラブがディスコと呼ばれ始めた」と彼は話しており、50年代初頭のパリにあった小さなナイトクラブ、タータンチェック柄の壁とレコードプレーヤーをしつらえた“ウィスキー・ア・ゴーゴー”がディスコの草分けだという。
一方で、ディスコ発祥の地はパリではなく、ニューヨークだという者もいる。(ギギ・カッシーニとファッションデザイナーである兄のオレグ・カッシーニが始めた)“クラブ・テン”のフランス人、オリヴィエ・コクランが生みの親らしい。オレグはこう回想している。
「細長い部屋に大きな暖炉とダイニングエリアを備え、75人ほど収納できるスペース、それにキッチンもあった。キッチンを仕切るフランス人のコクランは、料理やワインのセンスが抜群でね。金曜の夜は、ボストンからニューヨークまではるばるやってきては、このクラブに集まってよく飲んだし、土曜にはディナーの後に、ダンスを楽しんだものさ」
この新しい業態で頭角を現したコクランは、カッシーニ兄弟と共同で東55番街に“ル・クラブ”を出店。淡いブルーの外壁の奥には、ヨーロッパ貴族風の豪華で退廃的な空間が広がっていたが、限られた人しか入れない店だった。
ウォーホルによれば、そこは「オリヴィエ・コクランが自身の友人――ベッドフォード公爵やジャンニ・アニェッリ、ノエル・カワード、レックス・ハリソン、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアなど、世界を股にかける遊び人たち――のためにやっている店だった」という。
スワン”のひとりであるリー・ラジヴィルと踊るカポーティ。
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