COMING TO AMERICA

ニューヨークの華麗なる亡命者たち

September 2019

第二次世界大戦の勃発は、ニューヨークにとって決定的な瞬間だった。
フランス革命以来、これほど多くの人々が、ヨーロッパから移り住んで来たことはなかった。
裕福でチャレンジ精神にあふれた、華やかな亡命者たちのおかげで、ニューヨークは世界的なカルチャーの中心地になったのだ。
text nick foulkes

トルーマン・カポーティが主催した伝説の仮面舞踏会“ブラック&ホワイト ボール”で踊る人々(ニューヨークのプラザホテルにて、1966年)。

 当時の状況を語らせたら、やはりP・G・ウッドハウスの右に出る者はいない。

「ニューヨークは最高の亡命先だった。誰もが良くしてくれたし、いろんなことが起きているようだった。私にはたっぷり金があったから、何もかもうまくいったんだ」

 彼が1919年に発表した『それゆけ、ジーヴス』では、主人公のバーティー・ウースターがニューヨークへの愛を語っているが、これはウッドハウス自身の思いである。

 およそ100年前、英国生まれのユーモア小説家は、ブロードウェイで脚本家としてヒットを飛ばしており、彼の舞台には観客が詰め掛けていた。そこで、ニューヨークが彼の遊び場になったのである。

 それまで旧世界にとってのニューヨークは、欧州の結婚市場に欠かせない女相続人たちの輸入元であり、貧困層の輸出先にすぎなかった。だがウッドハウスはニューヨークが気に入り、この街で暮らす英国人の代表格となった。

 もっとも、大勢のヨーロッパ人がウッドハウスの見解を実体験するまでには、さらに20年を要し、第二次世界大戦の勃発を待たなければならなかった。

 マイケル&アリアン・バターベリーは、ニューヨーク社交界に関する著作で「第二次世界大戦によって母国を追われた無数のヨーロッパ人がアメリカに亡命してきた」と述べている。

「フランス革命以来、才能豊かで裕福で教養のある亡命者が、この街にこれほど集まった時期はない。異国の地に芸術家、貴族、教師、銀行家といった名士たちが結集し、文明を再現した。彼らはニューヨークのステイタスを大いに高め、この街はカルチャーの中心地になった」

ストーク・クラブで食事するヘミングウェイ夫婦とクーパー夫婦(1950年頃)。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 19
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