A MODERN GREEK DRAMA

海運王オナシスの強欲

February 2024

都市国家までも手に入れた男の行く末 その後、ニアルコスはかつてオナシスが所有していたシャトー・ドゥ・ラ・クロエを購入する。ライバルに買われたことに腹を立てたかと思いきや、実はこの頃すでにオナシスの関心はさらに大きな存在へと移っていた。

 1953年、オナシスは、モナコ公国の事実上の所有者となったのだ。小さいとはいえ、れっきとした国家である。もちろん、統治をしていたのはレーニエ3世だが、オナシスは、カジノ・ド・モンテカルロやオテル・ド・パリなどのランドマークを含む、国の約3分の1を所有するモンテカルロSBMの企業支配権を獲得していた。

 レーニエ大公は、オナシスが自分の考えを尊重してくれると考え、当初はうまくやっていた。しかし、気前のよい友人兼資金提供者と思っていたその相手は、新しいおもちゃを手にして夢中になっている子どものようなものだった(前述したふたつ目の「おもちゃ」がモナコである)。

 案の定やがてオナシスはおもちゃに飽きて、ほかのもっと魅力的なものを見つけようとした。レーニエ大公とオナシスのあいだの軋轢は深まる一方だったが、ようやく1960年代半ばになって、大公はSBMの株式を買い戻し、オナシスを追い払うことに成功する。

 モナコでの最後の日、オテル・ド・パリでお別れディナーを済ませたオナシスは、非常に感情的になっていた。クリスティーナ号が出港する際、遠ざかるモナコの地を見ていられず、甲板の下に入ってしまったという。オナシスにとって、10年以上にわたって謳歌してきた天井知らずの権力に、屈辱的な終止符が打たれたように思えたのかもしれない。だが、少なくともモナコのおかげで、オナシスの名声は確固たるものになった。

 オナシスの伝記の著者ドリス・リリーは、「それまでは、あくまでも上流階級や社交界でのみ知られた存在だった」と書いている。しかし、新たに「モンテカルロを買った男」の称号を得たオナシスは、世界的なセレブリティとなった。リリーが言うように、このときオナシスは本当の意味で「ギリシャの海運王」として世界に認められたのだ。そんな彼と彼の周辺は、皮肉にも悲劇的な最期を迎えることになる。

 ニアルコスと結婚した姉のユージニアは4人の子どもに恵まれたが、1970年、睡眠薬の過剰摂取により43歳の若さで死去した。妹のティナはオナシスとの離婚後、第11代マールバラ公爵ジョン・スペンサー=チャーチルと再婚するも離婚。71年にはニアルコスと3度目の結婚をするが、74年、パリの自宅で姉と同じく睡眠薬の過剰摂取により45歳で亡くなった。オナシスの一人息子アレクサンダーは73年に飛行機事故により24歳の若さで亡くなっている。

 失意のオナシスはその2年後、気管支肺炎で69年の生涯を終えた。一方で、ニアルコスは妻ティナ殺害の疑いをかけられつつも身の潔白を証明する。ライバル亡きあとも美術コレクションや競馬などを通して余生を楽しみ、1996年に86歳で大往生を遂げたのだった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 01
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