Tuesday, March 3rd, 2020

WAR ON SEXISM

戦時下の性差別
―勇敢な女性たち―

text josh sims

バイクに乗る情報省の女性たち。1940年ごろ。

 戦地での女性エージェントの人生は、激しくて短いことが多かった。多くは20代と若かったが、平均余命は6週間であり、その死因は、半数が戦死または処刑だった。2歳の子を持つシングルマザーのヴィオレット・サボーも、そんな不運な女性のひとりだ。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦の翌日にフランスに投下された彼女は、レジスタンスのネットワークを確立する任務に就いていたが、ドイツ軍に捕らえられ、7カ月の間、強制収容所をたらい回しにされ、最終的に銃殺された。そのわずか3カ月後、ドイツは降伏したのだ。

活躍が称賛されない性差別 女性たちの勇敢な行為は、戦闘以外においても男性に引けを取らない。ミスコンテストでの優勝経験があり、ポーランドの伯爵の娘であるクリスティーン・グランヴィルは、ゲシュタポに囚われた際、大量に出血するほど舌を噛んで結核を患っているふりをし、釈放を勝ち取ったという。さらに、病気の母親に送る紅茶の包みだと信じさせてゲシュタポの幹部に機密文書を託し、ポーランドへ運ばせた。1944年には大勝負に打って出たこともある。3人のレジスタンス幹部が捕らわれ処刑されるところだったが、彼女は近くの町に爆撃が迫っていると警告し、さらに自分は英国陸軍指揮官モンゴメリーの姪であるとはったりをかまして3人を救い出したのだ。その功績を称えられ、グランヴィルは大英帝国勲章、聖ジョージ勲章、フランス戦功十字章などを得た。

 しかし戦後になると、彼女の仕事は見向きもされなくなった。ようやく定期客船の乗客係の仕事に就いた彼女は、従軍記章の着用を奨励する船長の方針に従って勲章を着けて仕事をしたが、他の乗組員からは信じてもらえず痛罵された。彼女の功績が大きく取り上げられたのは、終戦から7年後、元恋人による刺殺という痛ましい死を遂げたときだけだった。

左:“世界一美しい女性”と呼ばれるほどの美貌を持ちながら天才発明家であったヘディ・ラマー。1940年。
右:ポーランドの伯爵の娘、クリスティーン・グランヴィル。チャーチルのお気に入りスパイとして知られた。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 28
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