November 2021

UNFORGETTABLE?

ナット・キング・コールの伝説

ナット・キング・コールをどのように追悼すべきだろうか?
もし彼の音楽を聴く期間が年に一度きりだけであるならば、私たちはコールの才能、影響力、そして人生の物語を見くびっていることになるだろう。
text james medd

Nat King Cole / ナット・キング・コール1919年アラバマ州モンゴメリー生まれ。アメリカのシンガー、ピアニスト。39年にナット・キング・コール・トリオを結成。40年代にはアメリカで最も成功した歌手となり、『アンフォーゲッタブル』などのヒットを飛ばし、50年にはビルボードのトップに5週連続でランクインした『モナリザ』を発表。64年の『LOVE』には日本語ヴァージョンもある。65年に肺がんにて45歳で死去。上の写真は1954年のコール。

 ロックは現在、ジャズやフォークと並んで“文化遺産”に登録され、その歴史はいまだにポピュラー音楽に対する考え方を支配している。すべてはエルビス・プレスリーから始まり、彼以前には大して聴くべき曲がなかったというのが今の通説だ。ナット・キング・コールは、この考え方の犠牲者の1人であり、彼の数十年にわたる偉大な仕事は、クリスマス・ソングとしてのみ知られている。

 スレイド、マライア・キャリー、ザ・ポーグス、そしてビング・クロスビーのように、彼は11月中旬からボクシング・デー(12月26日)までの短い期間に欠かせない存在であり、70年以上連続でクリスマス・ソングを歌うその豊かな声を聞くと、たき火で焼かれる栗や、冬の妖精ジャック・フロストを思い出す。

 ナット・キング・コールにはそれ以上の価値がある。毎年、あの魅惑的な声が私たちの心を魅了するように、彼の影響力は私たちが思っている以上に文化に深く浸透している。彼のスタイルは、レイ・チャールズ、サム・クック、マーヴィン・ゲイなど、多くの世代の歌手に影響を与え、それは現在に至るまでずっと続いている。

 コールは、レコード売り上げの総和以上の存在であり、人々が尊敬するスーパースターであった。実際、彼が設立したレコード会社であるキャピトル・レコードは、後にビートルズ、ビーチ・ボーイズ、イーグルスなどが所属するようになり、“ナットが建てた家”と呼ばれるほどの成功を収めた。彼の人生もまた、ほとんどすべてのロック・レジェンドよりも豊かなものだ。野心と偶然、善悪両面のチョイス、乗り越えなければならなかった障害、輝かしい才能など…… 彼は真実と虚偽を織り交ぜ、異質な要素を慎重に組み合わせていた。

 洗練された都会的なスタイルは、シカゴで過ごした子供時代を物語っているが、コールは本当は南部人で、1919年にアラバマ州モンゴメリーで生まれた。バプティスト派の牧師であった父は、コールの魅力のひとつである明瞭な発音を遺してくれた。父の教会のオルガニストであった母は、コールにピアニストとしての才能を与えた。宗教音楽の基礎を叩き込まれた彼は、シカゴのナイトクラブの外に座ってルイ・アームストロングをはじめとする当時の偉人たちの演奏を聴き、大いにインスパイアされた。15歳で高校を中退して、音楽の道に進むことを決意した。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 41
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