November 2021

UNFORGETTABLE?

ナット・キング・コールの伝説

text james medd

キャピトル・レコードのスタジオにて、レコーディング(1964年)。

 有名な“ブルースの父”W.C.ハンディ役として映画『セントルイス・ブルース』(1958年)では、エラ・フィッツジェラルドやマヘリア・ジャクソンたちと共演した。また驚くべきことに『ナット・キング・コール・ミュージカル・ストーリー』(1955年)では自分自身を演じている。

 しかし彼のスマートさと温かさを表現するには、やはりテレビが最適だった。1956年、彼はNBCで『ナット・キング・コール・ショー』という自分のバラエティ番組を持つことになった。この番組は14カ月にわたって放送されたが、黒人エンターテイナーがメインを務めるナショナル・ショーを、広告主が支持しなかったことが原因で終了した。

 この“実験”は、「マディソン・アベニューは“ダーク”を恐れている」という彼自身のセリフで締めくくられた。さまざまなジャンルの成功にもかかわらず、人種差別は彼のキャリアにずっと存在していた。例えば演奏した会場と同じ建物の中で、一晩過ごすことは許されなかった。

 1948年にはNYのホテル、ウォルドルフ=アストリアが彼の結婚式の開催を拒否した。またロサンゼルス郊外の高級住宅街ハンコック・パークに豪邸を購入した際には、他の所有者が一斉にキャンペーンを行い、窓から発砲されたり、芝生にヘイト・メッセージを書き込まれたり、飼い犬に毒を盛られたりした。

 1956年にアラバマ州で白人至上主義者にステージ上で襲われたときも、彼の反応は以前と同じだった。「まったく理解できません。私はデモに参加したことはなく、人種差別と戦う組織に参加したわけでもない。なぜ私が攻撃されなければならないのでしょう」。

自らヨーロッパから持ち帰ってきた3輪車メッサーシュミットと。巨大なキャデラックとの対比が面白い。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 41
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