SPIRITUAL LEADER

バレンシアガの伝説

August 2019

text stuart husband

バレンシアガと『ハーパーズバザー』の編集長カーメル・スノー、1952年。

 セシル・ビートンによれば、プライベートでは「きわめて控えめなスパニッシュテイストでまとめたアパルトマンで、非常に静かな暮らしを送っていた」という。

 バレンシアガは流行を追わず、スペインの巨匠たちの作品、ベラスケスが描いた王族や、ゴヤが描いた公爵夫人、スルバランが描いた聖人たちからインスピレーションを得ていた。

 60年代に大流行したポップアートを彼が「過剰」だと感じたのも無理はない。バレンシアガはイヴ・サンローランのような新しいデザイナーを「トレンディ」(彼が昔から嫌いな言葉)だと片づけ、1968年には「もう着る人がいない」と宣言して、突然アトリエを閉めてしまった。

 引退後はバスク郊外のモンテ・イゲルドにある別荘で暮らした。ポール・ジョンソンによれば、「別荘の真ん中には大きなアンティークのウォールテーブルと母親が使っていた古いシンガーミシンが置かれ、その上には巨大な十字架が掛けられていた」らしい。ミシンと十字架はどちらも彼の大切なアイコンだった。

 もしクリストバル・バレンシアガが死後45年経って復活したら、デムナ・ヴァザリアが手がけたセクシーな神父を思わせるコレクションを、きっと苦笑いしながら見守っていただろう。バレンシアガの名は今も、大胆なシルエットとアヴァンギャルドなデザイン、そしてセクシーなテーラーリングの代名詞として輝いている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
1 2 3 4 5

Contents