Thursday, August 15th, 2019

SPIRITUAL LEADER
バレンシアガの伝説

早熟の天才

 クリストバル・バレンシアガはバスクの漁村で1895年に生まれた。船乗りだった父親が若くして亡くなり、母親は洋裁の仕事で生計を立てていた。末っ子のバレンシアガも3歳で裁縫を始め、針仕事において驚くべき腕前を発揮する。彼は両利きで、どちらの手でも裁断や縫製ができたのだ。
 6歳のときには飼っていた猫のために、パールをあしらった美しい首輪をデザインした。これに目を留めた近所の貴婦人、カーサ・トーレス伯爵夫人がバレンシアガにとって最初のパトロンになり、豪華なドレスのひとつを複製させてくれた。12歳になると、バスク州のサン・セバスティアンのテーラーに弟子入りし、カッティングの技を学んだ。その後、サヴィル・ロウに通ってさらにその腕を磨いた。ツイードやウールにこだわり、パーフェクトな服を仕立てるバレンシアガはめきめきと頭角を現した。
「彼はテーラーであり、カッターでもある。服に命を吹き込み、遊び心溢れる素材使いでメリハリをつける」とセシル・ビートンは述べている。
 1915年にはサン・セバスティアンに自分の店をオープン。20年代後半には、ヴィクトリア・ユージェニー妃やマリア・クリスティーナ皇太后の御用達になった。しかし1936年にスペインの内乱が勃発すると、パリへの移転を余儀なくされ、1937年にジョルジュ・サンク通り10番地の3階にクチュールメゾンを開いた。
 パートナーのヴラジオ・ジャウロロウスキー・デタンヴィル(バレンシアガの作品に合わせてバロックハットをデザイン)とビジネスマネージャーのニコラス・ビスカロンド(彼も当然ながら、バレンシアガと性的指向が同じだった)とともに、パリを本拠地としたのだ。
 1937年に発表した初コレクションは、1着のドレスに3,500フランもの値を付けたにもかかわらず大評判となった。ダイアナ・ヴリーランドは息を呑み、グロリア・ギネスは驚いて椅子から床に滑り落ちていた。
 ウィンザー公爵夫人やビスマルク伯爵夫人(ガーデニング用のショートパンツに至るまで、バレンシアガしか着なかった)、バーバラ・ハットン、グレース・ケリー、ジャクリーン・ケネディ(ジョン・F・ケネディは、その請求書に仰天した)、ヘレナ・ルビンスタインといった綺羅星のような顧客をあっという間に獲得した。
 顧客たちはバレンシアガの革新的なスタイルやカットに魅了された。セシル・ビートンはこう書いている。
「バレンシアガが出てくる前、お洒落な女性は仕立ての良いスーツとブラウスに帽子を合わせていたが、バレンシアガはブラウスを取り去り、コートのサイドと首の後ろを開き、肘と手首の間で袖を切り、肩に厚みを持たせ、縫い目をすべて表に出し、犬の形をした帽子を頭に乗せた。挑発的なフォルムやルーズフィットのスラックスはどれも、この孤高の巨匠が生み出したものだった」

ダブル仕立てのグレイのコートでスマートに決めた姿、パリにて、1965年。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
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