Thursday, August 29th, 2019

ELEGANTLY WASTED
“キース・リチャーズ”という神

ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは、「世界で最もエレガントなジャンキー」と言われた。
逮捕、破局、ヘロイン、ヒーロー崇拝を経て、キース・リチャーズは生き残り、伝説になった。
text joobin bekhrad

「5つの音と2本の弦、2本の指、そしてケツの穴1つ」
 キース・リチャーズに必要なのはこれだけだ。もっとも、強靭な肉体、ブルースが好きなクールな仲間たち、そして天賦の才能にも恵まれている。
 ヘロインがらみの逮捕に破局……。ロック界を代表するギタリストは、さまざまな試練を乗り越えてきた。世界屈指のバンドを50年以上支えてきたキース・リチャーズは、まさに「レイキッシュな男」として賞賛に値する。音楽評論家のニック・ケントは「世界で最もエレガントなジャンキー」と評した。
 そんなキースにも、シャイで優しい少年だった時代があった。ロンドン中心部から数マイル離れたケント州ダートフォードに住んでいたキース少年は、のどかな郊外での退屈な日々を、チャールズ・ディケンズの小説で紛らわせ、母親のレコードプレイヤーで、ジャズやクラシックを聴いていた。
 祖父のガスが壁に掛けていたギターに魅せられ、「手が届くようになったら弾いていい」と言われていた。背が伸びたキースはついにギターを手にし、フラメンコの定番曲『マラゲーニャ』をマスターして有頂天になっていたという。
 少年だった彼を骨の髄まで震わせたのは、はるか遠くの見知らぬ街シカゴからやってきた、ロックンロールの強烈なリズムだった。少年はこれに身も心も奪われ、その人生は一変した。キースが見出した神の名はチャック・ベリーといった。
 キースは小学生だった頃からミック・ジャガーを知っていたが、ふたりが意気投合したのは1961年10月のある日、駅で偶然再会したことがきっかけである。学校をサボって音楽に没頭していたキースと、チャック・ベリーのレコードを持っていたミックは話が合った。
 ふたりはほどなくして金髪のブルースマン、ブライアン・ジョーンズとバンドを組み、チェルシーの質素なアパートで共同生活を始める。「バンド名はどうする?」とプロモーターに聞かれたとき、たまたま手元にあったのがマディ・ウォーターズのベスト盤で、そこに収録されていた『ローリン・ストーン』という曲目を見ながら、ブライアンが「ザ・ローリン・ストーンズにしよう」と言い出した。
 数カ月後にバンド名が「ザ・ローリン“グ”・ストーンズ」になり、チャーリー・ワッツやビル・ワイマンが加入した。キースとミックはキッチンにこもって『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)』を生み出した。
 お決まりのコードに飽き足らなかったキースは、6弦を外してオープンGチューニングを取り入れ、パターンの組み合わせを追求した。この試みによって独自のサウンドが生まれ、キースは「ヒューマンリフ」と呼ばれるようになる。彼は画期的なリフをいくつも紡ぎ出した(なかには『サティスファクション』のように寝ている間に思いついたものもある)
 ヒット曲が次々に誕生し、キースはダートフォード生まれの優等生から、最高にクールな男へと変貌を遂げた。仲間たちとともにチャートを駆け上がり、夢見た以上のものを手に入れた。
 耳が大きく、オタクのように前髪を切りそろえたちょっぴりファニーなルックスは、女性たちを惹きつけた。髪を長く伸ばし、ベルベットのパンツやヘビ革のブーツといったゴージャスなアイテムにお金をかけ、どこまでも危険なオーラを漂わせたキースはティーンエイジャーの憧れの的になった。ジョニー・サンダースやパティ・スミス、クリッシー・ハインドといった1970年代の若いアーティストたちは、彼を聖人のように崇めた。

Keith Richardsキース・リチャーズ
1943年、英国生まれ。現存する「世界最高の」ロックバンド、ザ・ローリング・ストーンズのギタリスト。ヴォーカル担当のミック・ジャガーとともに、数々のヒット曲を生んだ。独特のリフを多用したギタープレイと、破天荒なライフスタイルは、多くの後進に影響を与えた。ロックンローラーの鑑ともいうべき存在である。

チャーリー・ワッツ、ミック・ジャガー、ビル・ワイマン、キースとブライアン・ジョーンズが散歩しているところ、1967年。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
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