Thursday, August 15th, 2019

SPIRITUAL LEADER
バレンシアガの伝説

修道院のようなアトリエ

 その評判を高めていたのは、修道院を思わせる彼のアトリエだった。ディオールのメゾンはにぎやかだが、バレンシアガのアトリエは静かで、「好奇心の強い女性は、ここでは歓迎されない」をモットーにした厳格な門番、マダム・ルネに守られていた。
 とはいえ、殺風景な場所だったわけではない。歴史家のポール・ジョンソンは、こう書いている。
「アーティストのジャニーン・ジャネットがデコレーションを手がけたショーウインドウは、パリでもひときわ素晴らしく、フォーンやユニコーンをかたどったバーチ材の彫刻が目を引いた。中に入ると、スペイン風のタイル張りフロアにオリエンタルなラグ、ダマスク模様のカーテン、鉄製の調度品、そして、ふんだんに使用されたコルドバレザー。エレベーターもレザー張りで、セダンの椅子が置かれていた」
 仕事中のバレンシアガをとらえた写真はほとんどない。残っているのは、黒のトラウザーズとセーターに白衣を羽織り、生地や物差しが積まれたテーブルで作業を取り仕切る姿を写したものだけだ。
 ポール・ジョンソン曰く「ピウス12世時代の古風な枢機卿のような立ち居振る舞いだった。怒ることがあっても、イライラして足を動かすだけで、声を荒げることは決してなかった」
 セシル・ビートンによれば、プライベートでは「きわめて控えめなスパニッシュテイストでまとめたアパルトマンで、非常に静かな暮らしを送っていた」という。
 バレンシアガは流行を追わず、スペインの巨匠たちの作品、ベラスケスが描いた王族や、ゴヤが描いた公爵夫人、スルバランが描いた聖人たちからインスピレーションを得ていた。
 60年代に大流行したポップアートを彼が「過剰」だと感じたのも無理はない。バレンシアガはイヴ・サンローランのような新しいデザイナーを「トレンディ」(彼が昔から嫌いな言葉)だと片づけ、1968年には「もう着る人がいない」と宣言して、突然アトリエを閉めてしまった。
 引退後はバスク郊外のモンテ・イゲルドにある別荘で暮らした。ポール・ジョンソンによれば、「別荘の真ん中には大きなアンティークのウォールテーブルと母親が使っていた古いシンガーミシンが置かれ、その上には巨大な十字架が掛けられていた」らしい。ミシンと十字架はどちらも彼の大切なアイコンだった。
 もしクリストバル・バレンシアガが死後45年経って復活したら、デムナ・ヴァザリアが手がけたセクシーな神父を思わせるコレクションを、きっと苦笑いしながら見守っていただろう。バレンシアガの名は今も、大胆なシルエットとアヴァンギャルドなデザイン、そしてセクシーなテーラーリングの代名詞として輝いている。

バレンシアガと『ハーパーズバザー』の編集長カーメル・スノー、1952年。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 21
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