May 2018

PARADISE FOUND

コリン・テナント男爵が作った島

text james medd

マスティク島のブリタニア・ベイの澄み切った海(1987年)。
ALL PHOTOGRAPHS BY PATRICK LICHFIELD/WITH THANKS TO THE LITTLE BLACK GALLERY
ALL PHOTOGRAPHS AVAILABLE FROM THE LITTLE BLACK GALLERY LONDON/WWW.THELITTLEBLACKGALLERY .COM

 だが、60歳の誕生日を祝う頃になると、テナントはもはや島の領主ではなくなっていた。彼の誕生日パーティーが開かれた1976年は、居住者を対象としたサービス料が導入された年でもあり、彼の無秩序で奇想天外な統治を容認してきた居住者たちの心は、次第に彼から離れ始めていたのだ。

 テナントはやむなく、自身の会社であるマスティク・カンパニーの株式の過半数を、ベネズエラ人実業家のハンス・ノイマンに売却した。テナントは、その後も10年にわたって島に留まり、メッセルに依頼して新たなグレート・ハウスを建設し、その土地を保有し続けた。中心にドームを設けたグレート・ハウスは、いかにも堂々とした建造物で、インドから輸入した白大理石のパビリオンまで備えていた。しかし、80年代半ば、テナントはセントルシアでの再出発を目指して、ついに島を離れた。パビリオンは、このときにクリスティーナ・オナシスの元夫であったセルゲイ・コーゾフに買い取られ、間もなく取り壊されてしまった。

 テナントがいなくなってからも、マスティク島は、エリートの遊び場であり続けている。家の数は100軒をわずかに超える程度で、メガヨットを着けられる波止場もなければ、自家用機で着陸できる場所もない。島に別荘を持つロックスター、ブライアン・アダムスは、マスティク島を訪れた記者に、こう語った。

「他の島は、まるでサントロペのようになった。ここは正反対だよ。ブティックも小さければ、レストランも小さい。そこがいいんだ」

 島には今も、コリン・テナントのビジョンが息づいている。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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