May 2018

PARADISE FOUND

コリン・テナント男爵が作った島

text james medd

全身を白で統一したコリン・テナント。マーガレット王女、プリンセス・ジョゼフィーン・ローウェンスタイン、プリンス・ルパート・ローウェンスタイン、レナータ・アドラー、アン・テナント夫人といった人々とともに撮影(1973 年)。

 しかし、それも1958年までのことだった。コリン・テナントがやって来たからだ。後に第3代グレンコナー男爵となるテナントは、20世紀においてひときわ自由奔放な貴族家系の御曹司だった。一族は化学製品の製造で莫大な財産を築いていたため、テナントは自らの欲求を思いのままに満たすことができた。彼はじっとしていられない性分で、目立つことが大好きだった。ビニール製の服や紙製の下着を好んだことも、そんな性分をよく表していた。尽きることのないエネルギーの持ち主である一方で、尊大な浪費家だった。間違いないのは、マスティク島における事業は、彼がやらなければ、他の誰もやらなかったということである。

 テナントは、視察のためにトリニダード島へ向かったときに、近くのセントビンセント・グレナディーン諸島にある島が売りに出されていることを耳にした。そして彼は上陸もせず、ただちに買い取りを申し出た。1世紀にわたって島を所有していた一族の3姉妹は、わずかな農作とたまの休暇に利用していただけの島を、喜んで手放した。こうして彼は、4万5,000ポンドを支払い、建物その他すべてを含めて島を手に入れた。これは実にまずい投資だった。島には道路もなければ、耕作に適した農地もほとんどなかった。さらに水すら満足に手に入らなかった。

 しかし、マスティク島の新領主となったテナントはものともしなかった。地元で暮らす少数の人々のために新しい村を建設し、島の最もよい場所に貯水池を造成して水問題を解消した。また、舞台美術家であるオリヴァー・メッセルに依頼し、15軒の邸宅を建て、優雅で独創的な建築モデルを確立した。その過程でマスティク・グリーンという新色も生み出した。

マーガレット王女のわがまま テナントに明確なプランはなかった。一時はシーアイランド・コットンの栽培にも手を出したが、生産量は乏しく、自分のシャツとパジャマをターンブル&アッサーで仕立てたら、何も残らなかった。しかし、彼には宣伝の才能があった。その才を発揮したのは、1960年のことだ。マーガレット王女の旧友であったテナントは、スノードン卿と結婚する王女に、結婚祝いとして島の土地をプレゼントしたのだ。好奇心を抱いたマーガレット王女は、ロイヤル・ヨット・ブリタニア号での新婚旅行中に、新たな土地の検分に訪れた。王女が受けた第一印象は芳しくなかった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 22
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