‘LOOK AT THE WHO! THEY USED EXPLOSIVES!
HOW DID WE GET THE REP?’

レッド・ツェッペリンが残したクレイジーすぎる伝説の数々

April 2018

伝説のロックバンド、レッド・ツェッペリン。彼らは、類い稀な才能と戦略によって音楽史上に燦然と輝く成功を収めた。しかしそれだけではなく、真実か単なる噂だったのか、わからないようなあまりにもぶっ飛んだ逸話をたくさん残している。
text josh sims

Led Zeppelin / レッド・ツェッペリン1968年に結成。デビュー以降、メディア露出はほとんどなく、コンサートツアーによって着実に人気を獲得する。発表するアルバムごとに大ヒットを記録し、70年代を代表するロックバンドへと成長した。1980 年、ジョン・ボーナムの急死を受け解散となった。
ハワイのホノルルでレイをかけてもらうメンバーたち。左から、ドラムのジョン・ボーナム、ボーカルのロバート・プラント、ベース兼キーボードのジョン・ポール・ジョーンズ、ギターのジミー・ペイジ。1969年。

 サメ事件をご存じだろうか。それは死んだサメだったのか、生きたタコだったのか。レッド・スナッパーだったという説もある。いずれにしてもそれは、裸にして縄で縛ったグルーピー(=ときに肉体関係までをも望む熱狂的なファン)を喜ばせるためのものではない。詳細についてはここでは伏せておくが、ネットで検索してみてほしい。レッド・ツェッペリンにはこの事件の他にも数多くのエピソードが残されている。

 スーツケースにいつも鞭を忍ばせていたというギタリストのジミー・ペイジは、ホテルの一室で裸のままルームサービスのワゴンの上に横たわり、生クリームまみれの姿で女の子たちを喜ばせたこともあった。またあるときは、ホテルの窓からテレビを投げ捨てるなどして部屋をボロボロにし、チェックアウトの際にキャッシュで弁償した。ホテルの支配人でさえ彼らの自由さを羨み、勧められるがままに破壊行為に参加したこともあったという。

止まない称賛と酷評 デビューから半世紀経とうとする今となっては、レッド・ツェッペリンを称賛するのも非難するのも簡単だ。アルバムの売り上げはザ・ビートルズに次いで第2位という、音楽史上に残るセールスを誇るバンドのひとつである一方、映画『スパイナル・タップ』のモデルとなったように、時代遅れのロックバンドの典型として見られることもある。

 細身の身体に胸元をはだけベルボトムを穿き、数々の奇行を起こす。ベガス風の内装のプライベートジェットを所有したり、コカインの分配を管理するためだけに人を雇ったり、長々続く手ぬるいソロの間にバンドメンバーはステージを離れ、グルーピーと寝て、曲が終わるまでに戻ってくる。そんな古臭いロックバンドの典型的なイメージは、レッド・ツェッペリンがつくり上げたといっても過言ではない。

「バンドがしてきた多くのこと、そして彼らの周りの人間がしてきたことは、かつてないものだった」と語ってくれたのは、全盛期にツアーマネージャーを務めたリチャード・コールだ。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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