‘LOOK AT THE WHO! THEY USED EXPLOSIVES!
HOW DID WE GET THE REP?’

レッド・ツェッペリンが残したクレイジーすぎる伝説の数々

April 2018

プラントと当時の妻モーリーン・ウィルソン。1973 年。

かつてない画期的戦略と成功 レッド・ツェッペリンは、強権的なマネージャー、ピーター・グラントのおかげでビジネス的にも成功した初のバンドだった。あまり知られていないが、グラントはマルコム・マクラーレンにマーケティングについて助言した人物でもある。結果、70年代半ばにパンクは一大ムーブメントを起こすことになる。

 彼は、レッド・ツェッペリンのアルバムセールスだけを追求するため、シングルを発表させなかった。また、ファンにライブチケットを買わせるためにテレビ出演を控えさせ、インタビュー取材もほとんど受けさせなかった。その結果、バンドに神秘的な存在感をもたらした。

 それまでの慣例では、コンサートプロモーターはチケット収益の50%を取り分としていたが、レッド・ツェッペリンのコンサートでは10%とし、承諾するもしないも自由とした。結果、プロモーター側はその条件をのんだ。グラントはさらに、20万ドルという当時としては異例の額でアトランティック・レコードと契約させる。彼らの音楽を聴いたことがある人間がひとりもいなかったにもかかわらず、である。彼らは、ジョン・レノンやポール・マッカートニーの8倍もの印税率で契約していたのだ。

 こうした契約面だけでなく、レッド・ツェッペリンはアルバムジャケットのアートワークについても画期的で、芸術的な側面を感じさせるものばかりだった。穴からのぞく絵が変化するようジャケット内に回転するカードを仕込んだしかけや、謎めいたシンボルが並び文字として読めないもの、6種あるうちのどのジャケットが入っているかわからないよう紙袋が被されたもの、ジャイアンツ・コーズウェイの風景と裸の子どもを組み合わせた不気味なヴィジュアルまで、実に斬新だった。

THE RAKE JAPAN EDITION issue 20
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